【日本ダービー】「もう1度本気で」馬に愛情注いでいる嘉堂助手
2025年5月30日 05:10 「第92回ダービー」で史上25頭目の2冠制覇に挑む皐月賞馬の陣営に迫る連載企画「疾走ミュージアムマイル」。最終回は担当スタッフを務める嘉堂祐也助手(38)を取り上げる。父が元騎手で馬が身近な環境で育ちながらも一度は馬の仕事を離れ、紆余(うよ)曲折を経てトレセン入りした。担当馬に愛情を注ぎ、馬づくりに打ち込む日々。相棒と臨む大舞台を心待ちにしている。
ミュージアムマイルを担当する嘉堂助手は父が元騎手の信雄氏。54歳で引退した08年夏まで障害ひと筋でJRA通算220勝(重賞15勝)を挙げた。馬と身近な環境で育った長男の嘉堂助手だが幼少期の習い事は柔道、野球、水泳。将来やりたいことがない状況で中学3年の進路選択を迎えた際に「家庭で馬の話を全くしなかった父から初めて馬術部がある栗東高校に行ってみたら」と背中を押され、高校で馬に触れた。
高校卒業後は福島県のテンコー・トレーニングセンターに就職したが馬づくりに興味が持てず、わずか1年で退職。「もっと違う世界が見たい。その後は足場屋、大工の手元(職人の補助)など現場の仕事をやりました」。一度は離れた馬の世界だったが成人式で再会した、真剣に仕事と向き合う友人らの姿が輝いて見えた。「ずっと自分は何をしているんだ。いろんな感情が湧いた。もう一度、本気で馬をやろう」。中内田師の父・克二氏が代表を務める信楽牧場(滋賀県)で約5年みっちり経験を積んだ。
12年1月から佐藤正雄厩舎に所属。18年の解散に伴い、新規開業の高柳大厩舎に移った。ひたむきに馬と向き合い続けて昨夏、ミュージアムマイルと出合った。「最初に見た時は全体的に緩く、おとなしい印象だったが坂路を駆け上がる走りが本当に奇麗だった」と振り返る。2戦目で初勝利を飾り、続く黄菊賞と連勝。昨年12月の朝日杯FSは大きく出遅れながら2着。「朝日杯FSの頃からいい意味でどんどん気が強くなった。スイッチのオンとオフの切り替えがうまく、洗い場で人が触ろうとしたら触るなと威嚇するんです。他馬とぶつかってもひるまない、負けん気の強さが競馬につながっている。いずれG1を勝てると思った」と期待は膨らみ続けた。
1番人気に支持された今季初戦の弥生賞は前夜から雪交じりの雨が降り、重馬場に近いやや重。4着に敗れた。それでも本番の皐月賞当日。「休み明けを一度使ったことでレース前の気の入り方が弥生賞と全然違った。グイッと力強く、その雰囲気から行けると感じた」。中団で運ぶと直線で先頭に立った1番人気クロワデュノールを残り100メートルで捉える。人馬にとってうれしいG1初制覇を飾った。
興奮冷めやらぬレース翌日、釣りが趣味の父から連絡があった。「魚が釣れたから実家に取りにおいでと呼ばれて、そこで“おめでとう、良かったな”と伝えてくれた」。短い言葉ではあったが馬の世界へ導いてくれた父に対する最高の親孝行。これまでの努力が報われた瞬間だった。「今まで頑張ってきたことは決して無駄ではなかった。高校の同級生でいつも支えてくれる奥さんもテレビでレースを見てくれたようで感動したと言ってくれた。初めてのG1タイトルは格別でうれしかったです」とかけがえのない勝利になった。
まだ戦いは続く。ダービーは競馬関係者の誰もが憧れる夢舞台。「レースが近づくにつれ、ワクワクした気持ちがより強くなっている。以前はスタートが課題だったけど、少しずつ慣れて上達している今、不安材料がない。無事に当日を迎えられれば楽しみの方が大きいです」。22年生まれの現3歳世代で3冠制覇のチャンスがある唯一の存在。ミュージアムマイルと嘉堂助手の物語は始まったばかりだ。=終わり=
◇嘉堂 祐也(かどう・ゆうや)1986年(昭61)9月8日生まれ、滋賀県栗東市出身の38歳。父は障害ひと筋を貫いた元騎手の信雄氏。幼少期に習っていた野球のポジションはセンター。栗東高校を卒業。12年1月から佐藤正雄厩舎に所属し、解散後に高柳大輔厩舎へ。ミュージアムマイル以外の担当馬はセファーラジエル、レオテミス、テーオーエルビス。お酒とキャンプが趣味。