藤沢和雄元調教師が管理した3歳馬 時代先取り
2022年11月4日 05:24 【競馬人生劇場・平松さとし】天皇賞・秋が行われた先週の日曜日、同じ東京競馬場でレジェンドトレーナーCが施行された。
今年の2月をもって定年により引退した藤沢和雄元調教師の顕彰者選定記念として行われたこのレースを優勝したのはレッドモンレーヴ。同馬は2月まで藤沢氏が管理していた馬。現在、面倒を見ている蛯名正義調教師は騎手の晩年と技術調教師時代、藤沢氏に師事していた。
その2レース後にスタートを切ったのが天皇賞だった。大逃げして見せ場をつくったパンサラッサを最後に差し切って勝利したのはイクイノックス。美浦・木村哲也厩舎所属の3歳馬だった。
1987年、同レースが3歳馬に再び門戸を開いてから3歳馬がこのレースを制したのは4頭目。96年、最初に勝ったのはバブルガムフェローで、2002年の2頭目はシンボリクリスエス。いずれも藤沢氏が育てた馬だった。
「バブルもクリスエスも前進気勢の強い馬だったので、3000メートルの菊花賞は向かないと思いました」
現在では誰もがこのセリフにうなずくだろう。しかし、当時は3歳馬なら菊花賞へ行くのが既定路線だった時代。3歳馬が出走可能になった87年からの10年間で3歳馬の出走はバブルガムフェローが5頭目。同16年間でシンボリクリスエスは11頭目。11頭のうち4頭は藤沢氏が送り込んだ若駒だった。
「何も奇をてらったわけではありません。その馬にとって向いている距離がいくつかを考えて、自然と出てきた答えというだけです」
伯楽はそう語った。
今年は先述した通りイクイノックスが勝ったが、3歳馬は彼を含め3頭が出走していた。また、昨年はエフフォーリアが優勝しており、3歳馬の戴冠は2年連続となった。この結果を受け、今後、距離適性を重視して菊花賞ではなく天皇賞・秋をチョイスする馬はますます増えるだろう。時代を先取りしていた藤沢氏の引退が改めて残念に思えてならない。 (フリーライター)