98年タイキシャトルで果たした4年目の悲願

2025年8月15日 05:05

98年ジャックルマロワ賞の表彰式での藤沢和師(左)と岡部幸雄騎手(撮影・平松 さとし)

 【競馬人生劇場・平松さとし】
 今週末、フランスでジャックルマロワ賞(G1)が行われる。舞台はノルマンディー地方のドーヴィル競馬場。日本には存在しない直線の1600メートル戦だ。

 この欧州伝統のマイル戦を、1998年に制したのがタイキシャトル。名調教師となる藤沢和雄調教師(引退)の管理馬だった。今でこそ海外遠征は珍しくないが、当時は海の向こうが遠かった時代。そんな中、藤沢調教師は95年にクロフネミステリー、96、97年とタイキブリザードを北米へ送り出した。いずれも勝利には届かなかった。それでも諦めず、4年連続で海を越えたのがこのタイキシャトルだった。当時、藤沢調教師はこう言っていた。

 「3年連続でオーナーに迷惑をかけて、また行かせてくださいとは正直言いづらかったです」

 クロフネミステリーもタイキブリザードも、オーナーは大樹ファーム。そしてタイキシャトルも同じオーナーだった。

 「だから遠征直前の安田記念が道悪になった時“この馬場で負けたら遠征をやめる口実になるな…”と心のどこかで思いました」

 結果は圧勝。藤沢調教師は「これでは遠征しないわけにはいかなくなった」と、苦笑しながら語っていた。こうして向かったジャックルマロワ賞。鞍上は若き日の藤沢調教師の主戦を務めた岡部幸雄騎手(引退)。そもそも藤沢調教師に大樹ファームを紹介したのは、岡部騎手だった。

 岡部騎手は若い頃から海外に視線を向けていた。あまりに時代を先取りし過ぎ「西洋かぶれ」と陰口を叩かれることも一度や二度ではなかったという。そんな彼を支えたのが、大樹ファーム創始者・赤澤芳樹氏の父、胖(ゆたか)氏であった。だからこそ、大樹ファームでの海外G1制覇は岡部騎手にとっても悲願だった。
 ジャックルマロワ賞を制した際、岡部騎手の目に光るものがあった。それは既にこの世を去っていた胖氏を思い、込み上げた涙だった。(フリーライター)

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