【追憶のヴィクトリアM】06年ダンスインザムード 「今年は日本人で」名伯楽の期待に北村宏司が応えた

2024年5月8日 07:00

06年ヴィクトリアマイルを制した北村宏司とダンスインザムード

 フランスの名手、オリビエ・ペリエが引退した。凱旋門賞4勝。泣く子も黙る世界的ジョッキーは日本でも偉大な足跡を残した。

 01年に史上初となる3週連続G1制覇。有馬記念は02~04年にかけて3連覇(シンボリクリスエス、シンボリクリスエス、ゼンノロブロイ)した。

 藤沢和雄厩舎の大仲(スタッフ控室)の冷蔵庫には、カタカナで「ペリエ」と名手のサインが記してあった。同厩舎解散後、あの冷蔵庫はどうなったのだろうか。けっこうなお宝だと思うが…。

 それはさておき。全盛期、ペリエと藤沢和厩舎は一体となってG1街道をばく進した。だが、忘れもしない、06年1月2日。正月のあいさつに集まった番記者を前に藤沢和雄師はこう言い切った。「今年は外国人を呼ばない。横山典、北村宏の2人で戦っていく」

 大きな転換点だった。事情はさまざまあったのだろうが、日本人ホースマンをもっと育てたいという気持ちが藤沢和師にあるのだろうと感じた。06年春のG1は、まず皐月賞で横山典を起用し、ジャリスコライトで7着。そして迎えたヴィクトリアマイル。ダンスインザムードの鞍上には愛弟子の北村宏司を指名した。

 「緊張しますよ」と話した北村宏。だが、そんなことは名伯楽も織り込み済みだろう。「お前は岡部幸雄騎手やオリビエ、横山典と何度も併せ馬をして、助言ももらってきたじゃないか。その成果をここで出すんだよ」。藤沢和師が北村宏にそう言っているように思えた。

 2番人気に支持され、1枠1番からのスタート。好位5番手付近のインを進んだ。直線を向く。前に2頭の壁ができた。どうする…。

 北村宏は慌てなかった。好機をじっと待つ。残り300メートル。バラけた。ついに前が開いた。狭い2頭の間に飛び込む。抜けた。右ムチを放つとパートナーは後続を突き放した。北村宏、初G1制覇。右ムチを振り下ろして感激を表現した。常に感情を抑える男にしては珍しく大きなアクションだった。

 北村宏とともに藤沢和師からキーマンに指名された横山典が声をかける。「ヒロシ!ちゃんとウイニングランをしろよ!」。北村宏は大観衆からの歓喜のシャワーを心地よく浴びた。直線で見せた判断力は、まさに岡部、ペリエといった名手にモマれて培ったものだった。

 「こんな下手くそなのに乗せ続けていただいて…。今回は何が何でも結果を出したかった。ほんの少しだけど先生(藤沢和師)に恩返しできたかな」。お立ち台で胸を張る北村宏。藤沢和師は、この姿を見たかったのだろう。外国人騎手でG1を勝つのではない。手塩にかけた愛弟子で勝つ。そして、それを糧にさらに成長してもらう。それが藤沢和師の使命だった。

 藤沢和厩舎は22年2月をもって解散したが、その残り香のようなものは美浦トレセンに今なお、しっかりとある。

 藤沢和師の薫陶を受けた黒岩陽一師はアスコリピチェーノの鞍上に北村宏を指名し、阪神JFを手にした。ルメール不在の皐月賞でレガレイラの鞍上にいたのは北村宏だった。この時は勝てなかったが「困ったら北村宏」という空気があることは十分に感じ取れた。

 そして、その空気は藤沢和師が、あのヴィクトリアマイルでつくり出したものなのだ。

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