【追憶のレパードS】19年ハヤヤッコ 白毛馬がJRA重賞初制覇!ディープインパクトの後押しで結実
2024年7月31日 06:45 ソダシがクラシック競走(桜花賞)を制し、ママコチャがスプリンターズSを優勝。メイケイエールは重賞6勝を挙げるなど、今やコンスタントに強豪を出す血統として認識されている“白毛一族”。
だが、白毛馬が世に出始めた頃は「白毛は走らない」「体質が弱い」と思われていた。今となっては信じられないことだが…。
日本の競馬において初めて勝利を挙げた白毛馬は97年に大井で1着をマークしたハクホウクンだが、そこまでに出走していた3頭の白毛馬は全て勝てず。ハクホウクンも重賞で好勝負するようなレベルには行けなかった。
JRAにおける白毛のはしりはサンデーサイレンス産駒のシラユキヒメだ。父は青鹿毛。母ウェイブウインドは鹿毛。白毛として生まれたのは突然変異によるものだった。
シラユキヒメは非常に話題になったが、体質の弱さからデビューが5歳の2月と遅れに遅れ、9戦未勝利で牧場へと戻っていった。「体質が弱い」「走らない」というレッテルをはがすことはできなかった。
だが、シラユキヒメを所有する金子真人オーナーの執念はすさまじかった。クロフネ、キングカメハメハと当時トップクラスの種牡馬をシラユキヒメに配合し続けた。
すると産駒が次々と走り出す。クロフネ産駒のホワイトベッセルが07年に白毛馬JRA初勝利をマーク。同じくクロフネ産駒のユキチャンがダートの関東オークス(川崎)を制し、重賞初制覇を飾った。
そして白毛一族はついにJRA重賞を制するに至る。それがハヤヤッコ。シラユキヒメの子マシュマロ(牝、父クロフネ)にキングカメハメハを配合して生まれた牡馬だった。
19年レパードS。出走への抽選(10分の8)を突破してゲートイン。早めに新潟入りしていた効果もあって道中も落ち着き払って進み、直線を迎えた。
いち早く抜け出した1番人気デルマルーヴル。そこに外から真っ白な馬体がグイグイと迫った。場内の歓声はG3とは思えないほど。首差捉えてハヤヤッコが優勝。場内は「歴史的な瞬間を目撃した」という独特の雰囲気に包まれた。
実はこの年のレパードSは「ディープインパクト追悼競走」として行われた。同年7月30日に急死したディープインパクトを悼んでのものだが、そこを勝ったのが同じ金子氏の勝負服であるハヤヤッコ。こんな一致があるのか。奇跡としか言いようがない。
今、白毛馬を見て「体質が弱い」「走らない」と決めつける人はどこにもいない。そんな先入観を払拭したのは、全て金子真人オーナーの執念によるものだ。
シラユキヒメの可能性を信じ、大種牡馬を配合し続けて、いわば「シラユキヒメ系」の強豪ファミリーをつくり上げてしまった。このハヤヤッコの1勝が進撃ののろしとなり、せきを切ったように白毛一族は重賞をコンスタントに勝つようになっていく。