【追憶の根岸S】89年ダイナレター 生まれてくるのが早すぎた ダート路線未整備時代の砂の王者

2025年1月29日 07:00

89年の根岸Sを制したダイナレター

 ダイナレターである。おおっ、と思ったあなた。完全に50代か60代でしょう。いいんです。きっとあなたはダイナレター、ダイナカール、ダイナガリバー、ダイナカーペンターの冠名「ダイナ」の由来を解説できるはず。「ウマ娘」から入った若い競馬ファンにぜひ、説明してあげてください。迷惑がられるかもしれませんが…。

 ということで、オールドファン同士で思いを共有しましょう。ダイナレターが今の時代にいたら、凄いことになってないか?これです。どうですか。同意したくなるでしょう。

 戦績が凄い。引退までに12勝を挙げたが、うちダートで10勝。オープンでの勝ち鞍と、その時の負担重量を挙げたい。当時ダートのG3札幌記念(54キロ)、神無月S(57キロ)、根岸S(58キロ)、銀嶺S(60キロ)、京葉S(61キロ)、武蔵野S(62キロ)。どうですか。後半は凄まじい重量だが、それでも勝っている。

 90年の武蔵野S1着を最後に芝へと本格的に転身したのだが、これはダートでは重量を背負わされすぎて、もう出走できないという側面が大きかったように記憶する。何しろ当時はJRAにダートの重賞が4鞍しかなかった。帝王賞(大井)など一部、出走可能な地方のレースもあったが、今ほど頻繁ではない。さらに、海外でもそこそこ勝てる現代とは大違いだ。生まれてくるのが35年早かった。

 そんな中、出色の強さだったのが89年根岸Sである。逃げ馬インターシオカゼが飛ばしてハイペース。ダイナレターは14頭中9番手とやや後方からレースを進め、直線で外に出すと末脚爆発。2着ツクバセイフウに5馬身差をつける圧勝を演じた。

 当時は11月に行われていた根岸S。これだけの勝ちっぷりを見せれば、翌年のフェブラリーSはもらった!となるのだが、悲しいかな、当時はフェブラリーSなどなかった。まだG3のフェブラリーハンデだった。

 ダイナレターが今の時代にいたら、どれだけの白星を重ねたことか。レモンポップのような戦績だったかもしれない。無念この上ないが、何とか種牡馬入りはして、重賞2勝アスカクリチャンの母の父となって現代によみがえり、意地を見せた。そのアスカクリチャンはダートを1走しかせず、しかも惨敗(12着)というのも競馬の面白さだ。

 ちなみに84年生まれのこの世代が冠名「ダイナ」を使用した最後の世代。85年生まれからはサッカーボーイが出て、社台レースホースはイメージを一変した。

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