【根本康広 我が道13】初の大障害 3回も勝っている馬は何をすればいいか完全に分かっていた
2026年10月14日 07:00 バローネターフとは中山大障害(春)の前哨戦となるオープン(79年3月、障害S)で初コンビを組む予定でした。ところが、挫石(蹄の打撲性の炎症)で出走取り消しとなり、大本番へぶっつけで挑むことになりました。自信もないし、師匠(橋本輝雄調教師)に「無理ですよ。(兄弟子の)白石(一典)さんに乗ってもらってくださいよ」と訴えたのですが、「いや、矢野(進)くんは“どうしてもおまえに乗ってもらいたい”と言っているから」と聞いてくれませんでした。
迎えた本番、レースでの負担重量は64キロです。私は体重が46キロくらいしかない小柄な騎手。20キロくらいの重りが必要になります。鞍は重いし、鉛ベストと鉛のベルトを身に着けるとズッシリと体が重い。それに気持ちも重いですからね。バローネターフは断然人気。パドックでも注目されています。周回が進み「止まーれー!」の合図がかかった時には「うー、嫌だ」という気持ちでいっぱいになりました。
レースの光景ははっきりと覚えています。スタートして最初に3、4コーナーの障害を跳ぶのですが、陣営からは「1200メートル戦のつもり(実際は4100メートル)でビシッと出していくんだよ」と指示を受けました。今思えば、それは馬に気合をつけるのではなく、私に気合をつけるためのアドバイスでした。でも、その後は馬がレースを理解していたのでスッと動いてくれました。さすがだなと感心しました。
私は初めての大障害コースで、さらに鉛をたくさん身に着けているので馬上でバランスを取るだけでも大変でした。今の大竹柵(中山競馬場の第6号障害で高さ160センチの難関障害)は安全面を考慮して上部を平らにカットしているけど、当時は馬の上に立たないと向こう側が見えないくらいの迫力。高さのある障害は思い切ってジャンプする必要があります。もちろん、落ちる角度も急になる。馬は片足でグッと自重、騎手、負担重量分を踏ん張らなければいけない。まず、この難関をクリアできる馬しか大障害に挑戦する権利がありませんでした。今以上に本当に力がある馬しか勝てないレースだったと思います。
その点、バローネターフは本当にどっしりして安心感のある飛越をしていました。私は障害レース自体を勝ったことがありませんでしたが、馬はもうその時点で大障害を3回も勝っている。気性が激しいわけでもないし、実戦で何をすればいいかを完全に分かっている。レース前は不安、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた自分も大竹柵をクリアした時には「これは勝った」と思えるくらいの馬でした。
本番が始まってしまえば意外と私の気持ちは落ち着き、緊張のようなものがなくなっているのに気が付きました。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

