【根本康広 我が道17】初ダービーにNHK密着取材 気落ち、重圧「本番で惨敗したらどうしよう…」
2026年10月18日 07:00 メリーナイスと挑む87年の前に、ダービーには4回騎乗していました。最初の騎乗は81年のハシノエース。デビュー当初はあまり強い馬ではなかったけど、徐々に力をつけてきました。忘れられないのがNHKの密着取材です。若手騎手のダービー初挑戦ということで、1週間くらい前からテレビクルーが付きっきりとなりました。師匠(橋本輝雄調教師)は寡黙な人だけど、そういうのは好きで「協力してあげなさい」とのことでした。
若駒寮にいる時も調教の時も何度となく取材されます。当時の先輩たちは本当に怖かった。「あんなあんちゃん(若手)が偉そうに」「何さまのつもりなんだ」と言っているのがどんどん耳に入ってくる。日が経(た)つにつれて気持ちは落ちました。「特集の番組が流れるのに、本番で惨敗したらどうしよう…」という重圧もあります。この時の経験があったから、デビュー前に大きく騒がれた(藤田)菜七子の気持ちがよく分かりました。余計なプレッシャーがかかり続けると、メディアの前で本当の気持ちを言えなくなるんですよ。
本番はとにかくゲート入りが大変でした。当時のダービーは28頭立て(今は最大18頭)。全頭がゲート入りするのにかなり時間がかかります。最初の方に入ってしまったら1時間くらい待たされているような感覚に陥ります。当然ベテラン騎手からは「あんちゃん、先に入れ!」と、どやされます。ましてや当時は今とは違うパイプゲート。狭くて揺れて、ガチャガチャと音が鳴ります。ゲートの中で「早く始まってくれ」と祈っていました。
4コーナーを回った時、ラチ沿いにカツトップエース(1着)が見えました。「これをかわせば勝てるかも」との思いがよぎります。結局サンエイソロン、コーラルシーに抜かれての4着でしたが、いいレースでした。8番人気で27頭立て(1頭出走取り消し)の4着ですから。掲示板(5着以内)に載ること、出走すること自体が大変なダービー。密着取材などで重圧を感じていましたが、レースが始まってしまえばペースや仕掛けどころに集中すればいいと分かりました。
所属する橋本輝雄厩舎には毎年、ダービーに出走できるような馬たちがいました。翌年はアカネジローマルで15番人気5着、85年グリーンカップは8番人気で8着、86年オンワードルーは15番人気で9着。人気より頑張れました。不思議とダービーは道中でぽっかり自分の周りのスペースが空いていたり、好きなように動けることが多かった。他のレースよりも楽しんで乗れる感覚がありました。「絶対に勝ちたい」というよりも「何か縁があるレースなのかもしれないな」とぼんやり思っていました。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。
