【根本康広 我が道24】「ジョッキーになること」がゴールになってしまった最初の弟子
2026年10月25日 07:00 調教師生活を通じて5人の弟子を持つことになります。一つの厩舎に多くても所属騎手は2人。私の厩舎には同時に3人が所属している時期もありました。競馬界でのコネも騎乗技術もなかった自分をG1ジョッキーにさせてくれたのは橋本輝雄師匠。騎手を育てることで少しでも恩返ししたいという気持ちがありました。
余談になりますが、師匠は引退した後も美浦トレーニングセンターの近くに住んでいました。毎週木曜はおじゃまして夕飯をごちそうになり、交流はずっと続いていました。
開業してすぐの頃、最初に持った弟子は佐藤聖也くんでした。父親の佐藤聖は長期騎手講習生(デビューはせず)、同じ橋本輝雄厩舎で助手をやっていました。その縁もあって預かることになります。聖也くんは競馬学校を1年、留年してしまいました。競馬学校に面談に行くと、彼は泣きながら「絶対ジョッキーになりたい」と訴えます。私も3度卒業試験を落ちた身ですから「それなら頑張って、ジョッキーの道を目指しなさい」と伝えました。
ただ、彼は「ジョッキーになること」がゴールになってしまった。05年3月、競馬学校を卒業しJRA騎手免許を取得しましたが、普段の様子を見てもデビューできたことで満足している感じがありました。そして09年に大きな問題を起こし、翌年に騎手免許を取り消されて引退することになります。向こうから「引退します」と言ってきましたが、師匠としての責任を強く感じました。
ここ数年、若手騎手の問題が多く取り上げられます。もちろん教育が行き届かなかった責任は所属先の調教師にあると思います。ただ、そこばかりを言われてしまうと引き受け手がいなくなるばかりです。
勝つ確率は下がるでしょうけど、新人はたくさんレースに乗せないとうまくなりません。しかし、昔と違って今は馬主サイドの権限が強くなっている背景がある。私がそうしてもらったように、所属厩舎の馬を弟子ばかりに乗せるわけにもいきません。中には「新人騎手がいるなら馬を預けたくない」という話も出るそうで、厩舎経営自体にも影響を及ぼす可能性があります。
私はその苦い経験もあって、同じような悩みを抱えている若手調教師の話を聞きに行くこともあります。そこでは「弟子に引導を渡すのも師匠の最後の役目だよ」と伝えるようにしています。弟子を預かることのリスクばかりが大きくなるようではダメ。新人騎手はサークル全体で育てていく必要がある。JRAを含め、時代に合った形を見つけていかなければならないと思います。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

