グラスワンダーなど競馬史に名を刻んだ尾形厩舎
2018年6月22日 05:30 【競馬人生劇場・平松さとし】宝塚記念が2日後に迫った。春の総決算であるこのレースを1999年に制したのはグラスワンダー。騎乗したのは的場均(現調教師)で管理していたのは当時、調教師の尾形充弘だ。
グラスワンダーは師自ら米国キーンランドのセリで見つけてきた馬だった。
「当時活躍していたロベルト直子のシルヴァーホークが父という血統に魅力を感じました。足がつるほど何度もヤードまで見に行って決めました」
97年にデビューするといきなり3連勝。4戦目が現在の朝日杯フューチュリティSだった。
「紛れさえなければ、ほぼ勝てると思っていました」
そして実際にここでG1初制覇を記録するが、この栗毛の外国産馬が本領発揮するのはさらに1年以上後。
98年には有馬記念を制して2つ目のG1勝ち。さらに翌年の99年、今度は1400メートルの京王杯SCを勝利し、マイルのG1・安田記念で2着してから宝塚記念に駒を進めてきた。
この宝塚記念の1番人気はスペシャルウィーク。グラスワンダーとは同い年のダービー馬であり、直前には天皇賞を優勝していた。
グラスワンダーは2番人気。しかし、レース前、尾形は的場に言った。
「2頭立てのつもりで行け!!」
結果、早めに抜け出したスペシャルウィークをかわし3馬身差の圧勝。3着のステイゴールドはスペシャルウィークから7馬身も離されるのだから指揮官の指示は間違っていなかった。
「レース後は表彰式やインタビューがあって、用意していた飛行機には乗れず、新幹線で帰りました」
その車内では見知らぬ乗客に「おめでとう」と声を掛けてもらえたと言う。
ちなみに最初にセリで見た時「いかにも丈夫そうなので、平地でダメなら障害を走らせようと思って購入に踏み切った」と言うのだから競馬は面白い。
その尾形も通算800勝を置き土産に、この2月、厩舎を解散。日本の競馬史に名を刻む“尾形”が去ったのは残念でならない。(文中敬称略)