「奇をてらったわけではない」バブルガムフェローの挑戦
2024年3月15日 05:05 【競馬人生劇場・平松さとし】先週、藤沢和雄元調教師と会った。久しぶりだったので、さまざまな話が弾んだが、その中でバブルガムフェローも話題に上がった。同馬は95年に朝日杯3歳S(現朝日杯FS)を勝ち世代の頂点に立った馬。翌96年春には、今週末に行われるスプリングSにも出走し見事に勝利。その時点での戦績を5戦4勝とした。
ここで一頓挫あり、戦列復帰は秋になってから。この頃の3歳馬(当時は4歳表記)といえば、ほとんどオートマチックに菊花賞へ行く時代。しかし、伯楽はバブルガムフェローを京都へは向かわせなかった。復帰初戦で毎日王冠を走らせる(3着)と、続いて天皇賞・秋へ挑戦。結果、古馬相手のこのレースを、見事に優勝した。
近年でこそ21年のエフフォーリアや翌22年のイクイノックスなど、3歳馬が勝つ例も増えてきたが、先述した通り、当時は若駒が秋の盾を勝つどころか、取りに行く例すらほとんどない時代。同レースは87年に3歳馬に再開放されたわけだが、勝利したのは開放10年目のこのバブルガムフェローが初めて。その後も02年のシンボリクリスエス(これもまた藤沢和厩舎)まで3歳で古馬を撃破する馬は皆無。そのくらいまれなケースだった。しかし、本当に驚かされたのは、バブルガムフェローが朝日杯を制した時点で、藤沢調教師が「来年の秋は菊花賞ではなく天皇賞を狙います」と宣言していたことだ。
今回、この点を問うと、次のように答えた。「バブルは前進気勢が強過ぎたので、長距離は難しいだろうというのが手綱を取った岡部(幸雄)元騎手との一致した意見でした。ならば、重量差ももらえるから天皇賞にしようとなっただけ。何も奇をてらったわけではありません」。とはいえ時代を先取りしていたのは確かだろう。
「いえいえ、馬を最優先に、どこへ行くのが良いかを考えただけですよ」。自分の手柄にはせず、さらりとそう言えるのが伯楽たるゆえんだと改めて感じた。 (フリーライター)