【追憶の大阪杯】G2時代の01年、オペラオー破ったトーホウドリーム 震災も乗り越えた記憶に残る1頭

2024年3月27日 06:45

01年の「第45回大阪杯」を制したトーホウドリームと安藤勝己騎手

 すでにG1へと昇格して7頭の優勝馬を出した大阪杯。G1となってからのレースを“追憶”した方がいいのは百も承知だが、G2時代の一戦を取り上げることを許してほしい。若いファンにVTRをぜひ、見てもらいたい一戦なのだ。

 01年大阪杯。テイエムオペラオーで断然と思われた一戦だった。京都記念を皮切りに阪神大賞典、天皇賞・春、宝塚記念、京都大賞典、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念と重賞8連勝中。「世紀末覇王」と呼ばれた完全無欠の最強馬の01年初戦。当然のように単勝1・3倍の一本かぶりだった。

 しかし…。道中から不穏な空気が漂った。タマモヒビキが飛ばして1000メートル通過は59秒1。大外8枠14番からのスタートだったテイエムオペラオーは終始、外を回らされた。

 内回りの3コーナーを迎える。テイエムオペラオー・和田竜二の手はもう動いていた。外のアドマイヤボスの方が手応えがいい。ターフビジョンを見つめるファンがどよめく声が阪神競馬場に響いた。

 一方で内を回り続けたのが安藤勝己とトーホウドリームだ。当時はまだ笠松の所属だった安藤。ライデンリーダーで95年4歳牝馬特別を勝つなど、その手腕は目の肥えた中央競馬ファンにも知られるところとなっていた。スポット参戦した際には本来の実力以上に馬が人気となっていると思われるケースも生じていた。

 そのアンカツをもってしてもトーホウドリームは14頭立ての9番人気。2走前に1600万下(現3勝クラス)を勝ってオープン入りしたばかりでは仕方のないところ。「このメンバーだから、勝つ…という気持ちまではなかったかな」と安藤は述懐する。正直、その通りだろう。

 しかし、トーホウドリームは安藤に導かれ、直線で一世一代の大立ち回りを披露する。4角手前でインに見切りをつけると、ジョービッグバンが下がった空間を見逃さず馬体をねじ込んだ。

 さらにマイネルブラウとエアシャカールの間、狭い空間で脚をためる。叩き合うテイエムオペラオー、アドマイヤボス、エアシャカールの背後でチャンスをうかがった。

 叩き合って疲弊した3頭の外、トーホウドリームのエンジンに火がついた。グッと四肢に力がこもる。死力を尽くしてテイエムオペラオー、アドマイヤボスの前に出たエアシャカール。そこに外から襲いかかったトーホウドリーム。抵抗する気力はもうエアシャカールには残っていなかった。

 「何とトーホウドリーム~!大金星~!」。シンプルかつ、これ以上なく的確な実況とともにゴールに飛び込んだ。テイエムオペラオーの連勝を「8」で止めた。場内のどよめきは、さらに大きくなった。9番人気馬で絶対王者を仕留める。アンカツの恐ろしさに誰もが驚嘆していた。

 その後、トーホウドリームは走っても走っても白星に恵まれなかった。大阪杯は、まさに一世一代の走りだったのだ。12連敗を喫し、大阪杯以来の白星は何とダート。ハンデ戦の福島民友Cだった。G2勝ち馬にもかかわらず、ハンデは55キロだった。

 時は流れた。岩手競馬に移籍した後、6歳で引退したトーホウドリームは縁あって福島県南相馬市へと引き取られ「相馬野馬追」に参加するようになった。

 2011年、東日本大震災が襲う。南相馬市は避難区域となり、トーホウドリームは福島県内の別の牧場に避難した。

 別の場所に避難せざるを得なかった所有者と離れたことによるストレスか、次第にトーホウドリームは痩せていったという。それでも13年7月の野馬追に参加し、元気な姿を披露した。思えば、これは一世一代の野馬追だった。

 同年11月15日、トーホウドリームは突然倒れ、息を引き取った。

 テイエムオペラオーを倒し、被災地を勇気づける野馬追を披露した。持てる力を振り絞り、2度も人々を驚かせた。記録より記憶に残る馬だった。

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