【追憶の菊花賞】97年マチカネフクキタルの“3歳秋ハットトリック” 距離不安に打ち勝って福が来た

2024年10月16日 06:30

97年の菊花賞を制したマチカネフクキタル

 令和になってから競馬ファンになった人は、とても信じられないだろう。かつて、京都新聞杯は秋に行われていた(99年まで)。そして秋の3歳牡馬(関西馬)が歩む路線といえば、神戸新聞杯(9月中旬、阪神)→京都新聞杯(10月中旬、京都)→菊花賞(11月上旬、京都)が一般的だったのである。

 つまり菊花賞の関西トライアルは2競走行われていたのだ。菊花賞の日程が前倒しになり、京都新聞杯が春で定着した今、もうかつての日程に戻ることはあり得ないが、この3競走を全て制覇した馬がいる。74年キタノカチドキ、そして今回の主役、マチカネフクキタルである。

 マチカネフクキタルは11番人気で臨んだダービーで勝ち馬サニーブライアンの7着。ごく普通の“単なる強豪”だった。それが夏の福島で3歳限定の1000万(現2勝クラス)特別を3馬身差つけて快勝すると、そこからめきめきと強くなった。

 「もうね、ケツがパーンとしてね、凄いんだよ。人間もケツが大事よ。僕も鍛えてるもん。毎日、一生懸命、散歩してる」。二分久男師は話を聞きに行くと、椅子から立ち上がって右手で自らのお尻を叩き、いかにマチカネフクキタルのトモが凄いかを説明してくれた。

 神戸新聞杯では、のちに伝説となるサイレンススズカの逃げを一刀両断に差し切った。京都新聞杯ではメジロブライト、ステイゴールドといった、のちのG1馬を寄せ付けなかった。

 2つのトライアルを快勝したのだから本番も断然の1番人気と思うだろう。それが違うのだ。菊花賞、ふたを開けてみれば1番人気は京都大賞典で名牝ダンスパートナーを下したシルクジャスティス。2番人気はダービー3着馬メジロブライト。マチカネフクキタルは3番人気に甘んじた。

 父が短、中距離血統のクリスタルグリッターズ。母の父トウショウボーイも距離に限界があると思われていた。トライアルを連勝したことで「さすがにピークは過ぎた」と思われたのかもしれない。

 しかし、そんなこねくり回した予想をマチカネフクキタルは気持ち良く吹き飛ばした。

 レースは厳しいものとなった。5番手付近の好位につけたが、周囲をがっちりと囲まれ、過酷なプレッシャーにさらされた。おまけに中盤でペースがガクンと落ち、周囲のスピードが上がり始めた時にはインに押し込められ、動けなかった。位置を落として4角9番手。鞍上・南井克巳もスタンドで見ていた二分師も「これはまずい」と感じたという。

 だが、マチカネフクキタル自身は諦めていなかった。外からメジロブライトが伸びかけた。そこに馬群を割って現れたのが赤と青のボーダーの勝負服。マチカネフクキタルだった。南井の左ムチに応えて伸びる。1馬身差、完勝だった。

 「いやあ、いい馬に巡り会えました。距離の不安を一掃できてうれしいね」。これがナリタブライアン以来、3年ぶりの菊花賞制覇。南井の言葉が弾んだ。「よく我慢したよ。いい騎乗だった。まるで宙に浮いたような気分だね」。二分師の笑顔も最高だ。

 かくして成し遂げられた神戸新聞杯→京都新聞杯→菊花賞という3連勝の偉業。当時の新聞によれば、この3競走を全て勝つことを「3歳秋のハットトリック」と言っていたようだが…。全く記憶にない。

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