「休み明けでもG1使う」時代の先駆者だった藤沢和師
2024年12月27日 05:05 【競馬人生劇場・平松さとし】
28日、中山競馬場ではホープフルSが行われる。G1になる前の2016年、G2だったこのレースを制したのがレイデオロだ。管理していたのは美浦・藤沢和雄調教師(引退)。翌春には当然、クラシック戦線を戦ったわけだが、ホープフルS後はぶっつけでの皐月賞出走となった。
この時、思い起こされた事があった。話はさらに20年近くさかのぼる。1998年、デビューから3連勝で阪神3歳牝馬S(G1、現阪神ジュベナイルF)を制し、2歳女王(当時は3歳表記)に輝いたのが藤沢和師のスティンガーだった。翌春には牝馬クラシックに挑戦したわけだが、休み明けで桜花賞に挑むと12着に惨敗。「無謀」と叩かれたものだ。しかし、伯楽は毅然(きぜん)とした態度で言った。「クラシック本番前に1度使おうと思えば2月から動かさなくてはいけません。デビューから1カ月しないうちに3度使って12月にG1を勝った女の子に、休む暇すら与えないのはかわいそうで、できませんでした」
ちなみにレイデオロが皐月賞前に使わなかったのも似た理由からだった。「2歳で2000メートル戦を3回使いました。レイデオロ自身、疲れもあったし、ここで無理をさせては将来がなくなると判断しました」
結果、皐月賞は5着に敗れてしまうが、続く日本ダービーを見事に勝利。古馬になってからも18年天皇賞・秋を制すなど、息長く活躍した。もし、3歳春に無理をさせていたら、そういった活躍はなかったかも……と考えさせられたものだ。
そんな藤沢和師に「いずれ休み明けでG1を勝って、批判した人たちをアッと言わせましょう」と言うと、即座に次のように答えた。「意地になってそんな事をするつもりはありません。あくまでも馬にとって何が良いかを考えて、決断するだけです」
ちなみに皆さんご存じのように、現在では休み明けでG1に使うのも珍しくなく、誰も批判はしなくなった。先頭を走る者はどうしても強い風を受けざるをえない。藤沢和師は間違いなく時代の先駆者だった。 (フリーライター)