【追憶の弥生賞ディープインパクト記念】97年ランニングゲイル 地味な血統何のその!大胆な大捲りで1着
2025年3月5日 06:45 競馬界をけん引する大種牡馬から、きらめくような良血馬が誕生し、活躍するのは競馬の魅力の1つだ。
一方で、年間に数頭しか産駒が誕生しない地味な血統から活躍馬が時折出るのも、また競馬の大きな魅力である。
ランニングフリー-ランニングゲイルの系譜は、まさに後者の代表に当たる父子だろう。
父ランニングフリーについては「追憶のAJC杯」で紹介したので詳述は避ける。“無事之名馬”を地で行く名バイプレーヤーだった。
そのランニングフリーは牧場に帰って種牡馬となった。しかし、G2を2勝、G3を1勝しただけの脇役ホース(失礼)に牝馬がわんさか集まってくるわけもない。産駒は年間5頭にも満たず、活躍馬が出てくる確率は、ほんのわずか。だが…その針の穴を通すような確率から出てしまうのである。孝行息子が。
初勝利に5戦を要したランニングゲイルだが、出世レースである京都3歳S(当時オープン)を勝ち、スターダムに乗る。朝日杯3歳S(当時)は不利もあって4着。若駒S2着から迎えたのが弥生賞だった。
弥生賞はスタートまでにひと波乱あった。サイレンススズカがゲートの前扉の下から抜け出てしまい、上村洋行騎手(現調教師)はうずくまって動けず。馬体検査、外枠発走。レースは阪神のメーン・マイラーズCより遅れてのスタートとなった。
大きく出遅れたサイレンススズカ。チャンスとばかりにハナを切ったスーパーマクレガー。ペースは上がらず13秒台のラップが続く。「これは遅い。一か八かだけど、ここで仕掛けよう」。武豊はランニングゲイルを促し、3角手前から外を一気に上昇した。
勢い十分に4角で先頭。後続をグンと引き離し、ゴールでは2着オースミサンデーに実に3馬身差をつけていた。圧勝だった。
「もし、あれで負けていたら“無謀”と言われたかな。でも本番前に一度、この馬の力を(こういう形で)試してみたかった」。不利を受けずに、ねじ伏せる競馬。武豊騎手の期待にランニングゲイルは見事、応えてみせた。
ランニングゲイルは皐月賞6着、ダービー5着。その後も札幌でオープンを1勝したのみで、父のように古馬として輝くことはなかった。
それでも弥生賞で見せた圧巻の走りは素晴らしかった。優勝から30年近くが経過しても、こうして語り継ぐことができる。ランニングフリーの息子として、役割は十分に果たしたのではないか。