【G1温故知新】2002年日本ダービー2着 シンボリクリスエス
2017年5月25日 06:30 名馬や名調教師、名騎手にはドラマチックなエピソードが付き物だが、今年のダービーでは中央G1・25勝の名伯楽・藤沢和雄調教師(65)が、とうとう悲願を達成する…という展開が待ち受けているかもしれない。競馬界に対して新しい風を吹かせ続けてきた師も、70歳の定年が近づいており、日本ダービーというタイトルは喉から手が出るほど欲しいはずである。
その藤沢和厩舎が送り込むレイデオロの血統をひもとけば、母のラドラーダ、そして祖母のレディブロンドがそろって同厩舎の管理馬。また、母の父であるシンボリクリスエスは言うまでもなく同厩舎の元看板馬である。こんな血統の馬でダービーを獲れたら調教師冥利に尽きる、といったところであろう。シンボリクリスエスは02、03年に天皇賞・秋を史上初の連覇、さらに有馬記念も連覇した歴史的名馬の1頭。種牡馬として超一流だったとは言い難いが、今年のダービーには母の父として、レイデオロに加えてアドミラブルという有力候補を送り込む。
1989年のダービー出走馬ロンドンボーイに端を発する藤沢和厩舎のダービー挑戦歴。青葉賞2着から参戦した同馬は24頭立ての22着に沈んだ。ダービー以降は順調に使えず、条件戦を2走しただけで長期休養の末に引退。体調が下降した状態でダービーに送り出したことを、師は後々まで悔いていたという。
新馬戦を楽勝するも次走で予後不良になったヤマトダマシイ、超良血馬だが体質に難があり不完全燃焼に終わったクエストフォベスト…95年の2歳チャンプ・バブルガムフェローも春2冠を前に故障してしまった。これらの“失敗”を糧に、藤沢和厩舎は躍進を果たす。師の盟友である騎手・岡部幸雄の影響も大きかった。岡部の“馬優先主義”に賛同し体現した藤沢和厩舎が、再び日本ダービーに挑戦する機会が巡ってきたのは2002年。ロンドンボーイの惨敗から13年が経過していた。
雄大な馬体から繰り出される大きなストライドで青葉賞を制したマル外のシンボリクリスエス。重賞勝ちこそないが8戦してパーフェクト連対の安定感を誇るマチカネアカツキ。道営所属の身で札幌2歳Sを制覇し、中央転厩後に朝日杯FSで2着に入ったヤマノブリザード。オリビエ・ペリエを鞍上にすみれS勝ちを果たし、皐月賞でも6着に健闘したサスガ。精鋭4頭による最強の布陣で臨んだ13年ぶりのダービー。当時のクラシック勢力図の中心を担っていたのはタニノギムレットだったが、同馬は後方から追い込むも届かない競馬を繰り返していただけに隙はあった。藤沢勢が日本ダービーの栄冠を手にしても何ら不思議ではなかったはずだ。
ところが武豊が駆るタニノギムレットは、その実力を120%発揮する競馬で戴冠。藤沢勢の最先着は岡部が騎乗したシンボリクリスエスの2着だった。藤沢和師は翌年もゼンノロブロイをダービーに送り出したがやはり2着まで。以降も7度に渡って挑戦しているものの、栄光の頂には未だたどり着いていない。
今年のレイデオロは藤沢勢では4年ぶりの参戦となる。ソウルスターリングでオークス制覇を飾った藤沢和師&ルメールのタッグが、2週連続で府中に覇を唱えるのか、そして藤沢和師が悲願の日本ダービー制覇をついに成し遂げるのか?全てはレイデオロに懸かっている。
(文中の馬齢表記は新表記で統一)