【追憶の大阪杯】G2時代の84年、1番人気カツラギエース完勝 揺るがぬ強さで秋の快挙へ
2023年3月29日 07:00 大阪杯がG1に昇格したのは17年の第61回から。キタサンブラックの勝利は記憶に新しい。春に2000メートルのG1を…という気運が盛り上がって生まれたものの、近年はドバイワールドカップデーと競合してメンバーが分散してしまいがち。レースの立ち位置も時代と共に変化するが、G1昇格前の大阪杯がいかに「スーパーG2」だったかは、歴代の勝ち馬が物語る。
90年スーパークリーク
92年トウカイテイオー
93年メジロマックイーン
07年メイショウサムソン
08年ダイワスカーレット
09年ドリームジャーニー
13年オルフェーヴル
グレード制の導入以降、キャリアでG1を3勝以上した馬だけを抜粋してもこの名馬の数々だ。今回は、大阪杯のG2初年度、グレード制が導入された84年第28回大阪杯を回想しよう。
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1番人気はカツラギエース。前年にNHK杯、京都新聞杯(いずれも当時芝2000メートル)を制しており、この距離ならと評価されていた。
「行く馬がいないのなら逃げてもいいと思っていた」とカツラギエース鞍上の西浦勝一。スローペースで抑えては引っかかるタイプだったため、逃げも作戦の一つに入れつつ、実際に取った戦法は先行。キントキタロー、メジロプリンツが気合を入れて前に出てきたため、西浦カツラギエースはこれ幸いとばかり行かせて好位を確保した。
キントキタローがハナを切っているが、後続の有力馬から見て主導権はカツラギエース。この馬に好位で楽をさせてはならぬ…とばかり、3角過ぎで3番人気スズカコバンが押し上げていく。鞍上の田島良保は「前が楽なのは分かっていたので、行くしかなかった」と早めの仕掛け。同厩舎の実力馬が動いたのを受けて、2番人気で当時のトップ牝馬ロンググレイスも番手を上げていった。
それでもカツラギエースは揺るがなかった。4角でキントキタローをつかまえつつ、後ろの仕掛けを待つ余裕。スズカコバンがつかまえに来ようとするところでスパート。西浦カツラギエースは「後の先」の呼吸で後続を振り切って2馬身半差でゴール。2着争いは、同厩舎で鞍上も田島良保と田原成貴という兄弟弟子だったスズカコバンとロンググレイスが激しい競り合いの末、ロンググレイスが確保した。
前年の菊花賞で21頭立て20着に敗れていたカツラギエースは、当時の大阪杯勝ち馬ならほぼ確実に向かった天皇賞・春を自重。土門一美調教師は「春の目標は宝塚記念」として、次のレースに5月G3京阪杯(当時は京都2000メートル)を挟んで、宝塚記念に向かった。大阪杯から3連勝で、宝塚記念でG1初制覇を果たす。これが秋の快挙――日本馬初のジャパンカップ制覇――へとつながっていった。