藤岡康太さん力尽く 早すぎる35歳 6日阪神で落馬入院、意識戻らぬまま

2024年4月12日 05:30

昨年のマイルCSをナミュールで制して笑顔の藤岡康太さん

 JRAは11日、藤岡康太(ふじおか・こうた)騎手が死去したと発表した。35歳。6日の阪神7Rで落馬し、頭部と胸部を負傷。落馬後は意識不明の状態が続き、入院加療していた。JRA騎手がレース中の事故で死亡したのは04年の竹本貴志騎手以来、20人目。G1勝利騎手では93年の岡潤一郎騎手以来となる。

 祈りは通じなかった。藤岡康騎手は6日の阪神7R、4角で騎乗馬が前の馬に触れてつまずき、落馬。後続の馬と接触する形となり、頭部と胸部を負傷。担架に乗せられて病院へ搬送されていた。落馬から4日後の10日朝、兄の佑介が栗東トレセンで「ファンの方もたくさん心配されている方がいらっしゃると思うので、何とか帰ってこられるように願ってあげてほしいと思います」とコメントしていたが、その日の午後7時49分に帰らぬ人となった。

 父は健一調教師、兄が佑介騎手という競馬一家。07年3月、栗東・宮徹厩舎からデビュー。ルーキーイヤーはJRAで24勝を挙げ、中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞。09年ファルコンSで重賞初制覇、同年のNHKマイルCで10番人気のジョーカプチーノでG1初制覇を飾った。

 その人柄から関係者の信頼も厚く誰からも愛されるジョッキーだった。ももいろクローバーZのファンであり調教中に着用していた、ももクロカラーのド派手なジャンパーがトレードマーク。名門・友道厩舎の調教を手伝い、有力馬の追い切りを任されていた。18年神戸新聞杯でコンビを組んだダービー馬ワグネリアンは落馬負傷していた福永の代打に指名され見事1着。21年京都大賞典では当時8歳のダービー馬マカヒキを約5年ぶりとなる復活Vに導いた。

 昨年は自身最多となるJRA年間63勝を挙げ、マイルCSでは当日に急きょ乗り替わりで騎乗したナミュールを勝利にエスコート。今年も28勝を挙げ、リーディングトップ10にランクインし、先月30日には史上58人目となるJRA通算800勝を達成していた。「本当に数多くの騎乗依頼を頂いた上で、いろいろな関係者の、いろいろな思いに支えられて達成できた数字だと思っています」と感謝。「もっともっとうまくなりたい」と語っていたが、志半ばで天国に旅立つことになった。

 ◆藤岡 康太(ふじおか・こうた)1988年(昭63)12月19日生まれ、滋賀県出身。父が調教師の健一師、兄・佑介が騎手。07年、栗東・宮厩舎所属で騎手デビュー。ジョーカプチーノに騎乗し、09年ファルコンSで重賞初制覇、NHKマイルCでG1初制覇。JRA通算1万759戦803勝、うち重賞22勝(G1・2勝)。

 《宮師「残念です」》師匠の宮徹師(63)は11日朝、栗東トレセンで取材に対応した。「きのう(10日)の夜に聞きました。競馬での事故だから、つらいね。いつもニコニコして人当たりが良かったし、厩舎の人間もみんなかわいがっていた」と沈痛な面持ち。「周りに支えてもらわないとやっていけない世界。他の先生にもかわいがってもらっていた。これからまだまだ伸びしろがあったと思う。残念です」と言葉を詰まらせた。

 ▼丸田恭介(競馬学校23期生同期)康太の活躍する姿を僕も励みにして頑張ってきた。何度も元気をもらったし、一緒の時間を競馬学校で過ごせてよかったです。本当にありがとうと言いたい。夢半ばでこういう形で終わってしまったけど、おつかれさまでしたと言いたいです。康太は影響力のある人間だったし、ずっと格好良かった。人を笑わしたり、気配りも凄くできた。こういう事故があるスポーツでギリギリを攻める騎乗も尊敬していました。あいつのためにも、これから恥ずかしくない競馬をしたい。今はゆっくりしてほしいです。

 ▼吉田正義JRA理事長 このたびの藤岡康太騎手の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。昨年のマイルチャンピオンシップ表彰式でのつつましい笑顔が思い出されます。今後のさらなる飛躍が期待された藤岡騎手、残念でなりません。JRA役職員一同、深い悲しみの中におりますが、藤岡騎手のご供養のためにも、しっかりとした競馬を続けていくことが私たちの使命と考えております。ご家族様・ご親族様に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

 ▼「ももいろクローバーZ」佐々木彩夏(藤岡さんがファンと公言)モノノフ(ファンの呼称)、なかでもあーりん(佐々木)推しとしてグッズを身に着けてくださったり、一緒にお仕事させていただけて、うれしかったです。これからも、ももクロのことを見守っていてほしいです。

 ▼浜中俊(競馬学校23期生同期)残念のひと言です。競馬学校で出会ったのが15歳。今が35歳なので、もう20年になります。同期とか友達とか、そういう域を超えて家族に近い関係でした。ウソだろうと、ずっと思っていますし今でも正直、受け入れられないです。

 ▼高野友和師(ナミュールを管理)悲しいですね。開業して厩舎が(所属していた)宮厩舎の隣だったので、よく大仲(スタッフ控室)に出入りしていましたけど本当にいい人でした。ナミュールが勝てたのも彼のおかげだと思います。

 ▼武豊(日本騎手クラブ会長)こんなにつらく、悲しいことはありません。まだ、信じられないです。今後、康太の思いを胸に乗っていきたいと思います。

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