平松さとし氏 馬に乗り続ける全騎手の無事を祈りたい
2024年4月12日 05:30 先週は阪神競馬場で桜花賞(G1)を観戦したが、その前日の土曜日は、オーストラリアのシドニーにあるランドウィック競馬場を訪問。オオバンブルマイ(牡4歳、栗東・吉村圭司厩舎)が出走(13着)したドンカスターマイル(G1)を観戦した。
同馬の調教も見に行ったが、その際、ホテルから一緒に移動したのが藤井勘一郎元騎手だった。
海外や地方競馬でキャリアを重ねた彼が、念願のJRA騎手としてデビューしたのが2019年。1983年12月生まれだから35歳でのデビューだった。
1年後にはアブレイズでフラワーCを優勝。重賞制覇も飾った。
しかし、競馬の神様は無情だった。長らく夢を見続けてきたJRA騎手になれてからわずか3年後の22年4月、福島で落馬。脊髄を損傷し下半身を思うように動かせなくなってしまった。
その後も不屈の精神で復帰を目指しリハビリを続けたが、機能はなかなか回復せず。今年の2月には騎手免許を返上。事実上の引退となった。
しかし、彼の精神力が折れることはなかった。車椅子に乗りながら、競馬内外の仕事を見つけ、精力的に活動。昨年は韓国や香港で彼と再会した。そして、先述の通り、オオバンブルマイの遠征では同じホテルに泊まり、可能な時間帯は行動を共にした。
「カンタベリー競馬場では雨に打たれながら車椅子を押してもらい一緒に調教を見ました。助けてくださる人がたくさんいるおかげで行動できています」
謙遜気味にそう語るが、車椅子に乗りながら単身で海外へ出かける気力と行動力は感心するばかり。今後も世界中を彼と一緒に飛んでみたいと思ったものだ。
さて、皆さんご存じの通り、そのオーストラリアでのレース当日、日本の阪神競馬場では藤岡康太騎手が落馬。その後、意識が戻ることなく、残念ながら10日の夜に他界してしまった。騎手としてはもちろん、人間的にも素晴らしい人だっただけに、あまりに残念で言葉が出てこない。合掌するとともに、今後も同じように馬に乗り続ける全騎手の無事を祈りたい。 (フリーライター)