“大井の帝王”的場文男引退 騎手生活51年5カ月「体力的にも限界」

2025年2月15日 05:10

勝負服姿でVサインの的場文男騎手。この勝負服は的場騎手しか似合わない

 国内最多勝利騎手で地方競馬歴代最多の7424勝を誇る「大井の帝王」こと的場文男(68)が3月31日付で現役を引退することが分かった。14日、所属する大井競馬場が発表した。24年7月8日大井3R(ブラウンリバティ3着)が最後の騎乗。最後の白星は24年1月22日大井10R「おおいぬ座特別」(ラバテラリュージュ)。実力、人気を兼ね備えた地方競馬の巨人が51年5カ月にわたる騎手生活に別れを告げる。

 大井の帝王がステッキを置く。的場は大井競馬場広報を通じて「皆さま、長い間応援していただき、本当にありがとうございました。正直なところ、まだまだ乗りたい気持ちはありますが、昨年2月に膝をケガし、一度騎乗を再開しましたが、膝の影響もあってか思うような騎乗ができず、体力的にも限界を感じるようになり、騎手としてのキャリアに終止符を打つ決断をいたしました」とコメントした。

 70歳間近の鉄人は限界を迎えていた。昨年2月に左膝のケガで休養。同年7月8日に復帰を果たしたが、1鞍に騎乗しただけで再び戦線を離脱した。さらに同僚騎手との金銭トラブルがあったことも判明。的場に非があるとされ、4日間の騎乗停止処分が下された。騎乗停止明け後も競馬場に的場の姿はなく、結果的に昨年7月8日の大井3R(ブラウンリバティ3着)が現役最終騎乗となった。「最後の騎乗を皆さまにお見せすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです」とファンへ謝罪した。

 大井競馬場所属の騎手として73年デビュー。圧倒的な成績から「大井の帝王」と呼ばれた。97年帝王賞をコンサートボーイで制し、交流G1(現Jpn1)初制覇。18年8月には佐々木竹見氏が持つ記録を抜き、地方競馬最多7152勝の金字塔を打ち立てた。“第2の顔”というべき勝負服「赤・胴白星散らし」は永久保存となることは、ほぼ間違いない。ただ、地元大井最高の名誉とされる「東京ダービー」とは縁がなく、これまで2着10回。的場がダービー未勝利であることは「大井の七不思議」と呼ばれるほどだった。

 的場は「これまで多くの素晴らしい馬たちと共に走り、多くの思い出をつくることができました。皆さまの温かい応援が、私の力となり、支えとなりました。これからは新たな道を歩むことになりますが、皆さまの応援を胸に、次のステージでも頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました」と結んだ。

 今後は未定だが、17日の大井競馬終了後、記者会見を行う予定。半世紀以上にわたる騎手生活に別れを告げる的場。これまで残した幾多の伝説は、この先も決して色あせることはない。

 ▼佐々木竹見氏(元川崎競馬騎手)ケガでの引退は残念ですが、仕方がないし本人のためにも正解だったでしょう。長い間、ご苦労さまでした。

 ▼矢野貴之(大井競馬騎手)想像もできない数字を残した異次元の人。最後まで気持ちを切らさずできたのは負けん気が強かったからだと思う。豪快な追いっぷりに注目されがちだが、繊細に折り合う技術が凄かった。一緒に乗れたのは財産だし、誇らしい。

《的場の歩み》
 1956年9月7日 福岡県大川市に生まれる。
 71年 騎手見習いとして大井競馬小暮嘉久厩舎に入る。
 73年10月16日 ホシミヤマで初騎乗。5着になったが、いきなり騎乗停止。
 同年11月6日 同馬で初勝利。
 77年10月 アラブ王冠賞(ヨシノライデン)で重賞初制覇。
 83年 初の大井リーディング獲得(85~04年も同リーディング)。
 87年2月 地方競馬通算1000勝を達成。
 90年9月 中山7Rをモガミリーフで勝ち、中央初勝利。
 97年6月 コンサートボーイで帝王賞を勝ち交流G1(現Jpn1)初制覇。的場本人が最も記憶に残るレースとして挙げる。
 02年 363勝で初の地方競馬全国リーディングを獲得。
 03年 335勝で2年連続地方競馬全国リーディングに輝く。
 06年3月 地方競馬通算5000勝。
 10年6月 地方競馬通算6000勝。
 13年9月 韓国・ソウル競馬場で海外初勝利。
 17年5月 地方競馬通算7000勝。
 18年3月27日 地方競馬通算最多騎乗数記録を更新(当時4万202回)。
 同年8月12日 大井5Rをシルヴェーヌで勝利。佐々木竹見氏が持つ記録を抜き、地方競馬最多7152勝を達成。
 20年11月 現役の騎手として初めて黄綬褒章受章。

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