【根本康広 我が道5】コネもない私に運命の出会い…私の競馬人生にとって本当に大きいものに
2026年10月5日 07:00 今の競馬学校は全国から騎手というかっこいい仕事に憧れた子たちがたくさん集まり、入学するための倍率(約10~20倍)も凄いらしいです。ただ、私の頃は全く事情が違い、短期講習制度というものもありました。調教師が馬産地などで背の低い子を見つけてきたり、知り合いから頼まれた子を競馬場(当時は競馬場に厩舎があった)の場長承認の下、厩舎で面倒を見るんです。そこで修業をしながら騎手になるために短期講習試験を受けます。相撲の親方とお弟子さんみたいな関係です。短期講習生は年に1度、馬事公苑で1カ月の講習を受けて試験に挑みます。落ちてしまったら、また来年のチャンスを待ちます。晴れて騎手になれる人もいれば、そのまま助手や厩務員になる人もいました。地方競馬の騎手になった人もいます。そういう意味では多くの人にチャンスがあったというか、騎手になるための裾野は今よりも広かったです。
自分のような長期騎手講習生は順調なら18歳でデビューできました。一方、短期講習の人たちは厩舎仕事をしながら20代半ばでも騎手を目指す人がいました。当然、お酒もタバコもOKな年齢ですから、かなり大人に見えました。ただ、長い下積み期間に挫折して素行が悪くなったり、不祥事を起こす人たちもいました。当時はまだ時代が良かったんでしょうけど、競馬が市民権を得ようという流れができてきた。競馬というスポーツをクリーンにするためにもJRAの競馬学校が騎手、厩務員の候補生をきっちりと育て上げる制度に変わっていきました。
同期にいつも「やめたい」と言ってしょっちゅう泣いている子がいました。教官がシズハナという奇麗でおとなしい馬を用意してマンツーマンで教えていたのですが、私と同じでなかなかうまくいきません。休みの前日夕方だけ元気があるような子でした。わざわざお兄さんがやってきて強く説教をしたりしていましたが、結局1年もたたないうちにやめてしまいました。自分も「いつやめてもいい」と思ってはいたのですが「こうやってやめていくのは嫌だな」と思った記憶があります。
今もそうですが、競馬学校の生徒は厩舎実習を行います。調教師にいろいろと面倒を見てもらい、調教に乗ったり、厩舎の仕事をこなして経験を積んでいく。自分は競馬サークルの出自ではないのでコネがあるわけではなく、誰か知らない調教師のお世話になるしかない。そんな中、東京競馬場に厩舎を構える橋本輝雄調教師と面談をすることになりました。ダービージョッキーで、後に師匠となる人です。この出会いが私の競馬人生にとって本当に大きいものとなります。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

