ハルウララ、当たらない馬券がお守り 武豊騎乗で大フィーバー
2019年2月27日 05:30 ハルウララは98年11月17日にデビュー(5頭立ての5着)。連戦連敗を重ねていた03年夏、地元メディアの報道をきっかけに全国紙、テレビ各局が追随。同年末に100連敗に到達すると全国的な知名度を獲得した。翌04年3月22日の106戦目にはJRAのトップジョッキー武豊が騎乗。ブームは頂点に達し、当日の高知競馬場には入場レコードとなる1万3000人が来場。馬券の売り上げも最多となる8億6900万円。当時の年間総発売額の1割超を1日で売り上げた。結果は11頭立ての10着。武豊は「乗りやすい馬。ちょっと脚が遅いだけ」と評した。全国的なフィーバーを象徴するように、当時の小泉純一郎首相がコメントを出したほどだった。
武豊は改めて「ダービーより凄いと思えるくらいの大フィーバーだった。お客さんの数が凄くて観戦に来た弟の幸四郎(現調教師)が入場門で止められたくらい。懐かしいね」と振り返った。ハルウララの単勝馬券は“当たらない”ことから交通安全やリストラよけのお守りとして、全国各地の場外発売所でも飛ぶように売れた。05年には渡瀬恒彦主演で映画「ハルウララ」も上映。グッズやテーマソングなども数多く発売され社会現象となった。