池江泰郎氏 ディープに感謝「神様からのプレゼント」
2019年7月31日 05:30 現役時代のディープインパクトを管理した池江泰郎元調教師(78=スポニチ本紙評論家)が、同馬の死を悼んだ。最も近くで同馬に接してきた“育ての親”は大きな喪失感にさいなまれながら04年9月8日の入厩から共に過ごした2年余りを「神様からのプレゼント」と感謝した。
30日朝。ノーザンファーム・吉田俊介副代表からの電話で愛馬の急死を知った池江氏は声を詰まらせながら、必死に言葉を紡いだ。
「驚きとショックで頭の中がまだ混乱している状態。まさかこんな早くいくとは…。まだ17歳ですよ。もう少し長生きしてほしかった」
北海道苫小牧市のノーザンホースパークで今月8、9日に開催されたセレクトセールの前に、繋養(けいよう)先の社台スタリオンステーションを訪れたのが最後の対面となった。
「私にとって、調教師人生の中で最高の馬、一生の宝物。現役時代を預かることができたのも神様からのプレゼント。引退後のディープに合った時はいつも無我夢中で一緒に過ごした時のことを思い浮かべ、心の中で語り掛けていました」
440キロほどの小柄な馬体。入厩当初は牝馬と間違われたこともあったという。「小柄な馬がいつも私に幸せをくれる。開業当初、メジロオーロラという小柄な牝馬がいた。地味で風格もなくて、1勝しかしなかったけど、牧場に戻ったらメジロデュレンとメジロマックイーンを僕の厩舎に送り込んでくれた。あの小さな牝馬のおかげで僕の厩舎は何とかなったんだ」と話したことがある。また、武豊が調教で初めてまたがった時のエピソードも披露。「めったに褒めることのない彼が“凄い馬だよ、この馬”と興奮気味に話していたことを思い出します」と目を細め、「馬体は小さいが、心臓をはじめ内臓が他馬より大きかったんです。そして、よく“飛んだ”と評されましたが、1完歩がとてつもなく広かった」と評した。
ホースマンとしての悲願。ダービー初制覇も05年のディープインパクトだった。「あの時の感激は今も体に染み込んでいる。“これは夢じゃないか?”とお尻をつねりながら表彰台に上がったことを思い出します」と回顧。「ラストランの有馬記念も今思い出しても鳥肌が立つ」と続けた。その一方で、「凱旋門賞を勝たせることができなかったのが唯一の心残り」とも。今年の凱旋門賞(10月6日、パリロンシャン競馬場)には、同産駒のフィエールマン(牡4=手塚)、ロジャーバローズ(牡3=角居)の2頭が参戦予定。「父の果たせなかった日本競馬界の夢をかなえてほしい」と願いを込めた。
池江氏には、ターフの外でも忘れられない思い出がある。05年の菊花賞前のことだった。「東京駅でね、“あっ、ディープのおじさん!”って言われたんだ。あれは本当にうれしかったね。これもディープが愛されているからだよ。ディープと過ごした時間が私の幸せでした」。社会現象も巻き起こした不世出の存在。ディープインパクトの一生涯が、池江氏の人生でもあった。
◆池江 泰郎(いけえ・やすお)1941年(昭16)3月1日生まれ、宮崎県都城市出身の78歳。騎手時代は「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝。引退後は調教師となり、79年に開業。通算6768戦845勝。ディープインパクト以外にもメジロデュレン、メジロマックイーンなどG1馬を多数輩出した。11年に調教師を引退。長男・泰寿氏(50)は現役調教師。