アメリカンシードへの吉澤ステーブル父娘の思い 将来は米国で活躍を――
2021年8月6日 05:30 【競馬人生劇場・平松さとし】吉澤克己氏が有限会社吉澤ステーブルを立ち上げたのは1995年。知人の牧場の12馬房を借りたが「半分しか埋まらず前途多難」(本人)な船出だった。
しかし99年にウメノファイバーがオークスを、2002年にはタニノギムレットが日本ダービーを制するなど育成馬が活躍すると、業績は右肩上がり。09年には株式会社組織となった。そんな吉澤ステーブルが大打撃を受けたのが11年のこと。当時、開場していた吉澤ステーブル福島分場が、東日本大震災で被災。坂路や従業員の住居が崩壊。30人のスタッフと100頭の馬が路頭に迷いそうになったのだ。
「たくさんの人に助けていただき、北海道や群馬、京都などの牧場に分けて人も馬も避難させることができました」
吉澤氏はそう語った。同氏には2人の娘さんがおり、自身も苦しい立場だったはずだが、まずは従業員を助けることに奔走。そんな人柄が危機を救い、現在は全国4カ所に牧場を拡大させるまでに至っている。
先述の2人のお嬢さまは現在それぞれ傘下の牧場で働いているが、吉澤ステーブルウエストを任される長女の綾花さんは海外の買い付けなどにも一緒に行く。
「父のおかげで米国の育成牧場で研修させていただいた時期もありました。そんな関係で米国のセリにも同行させてもらっています」
そんな中、父と娘で渡った米国で手に入れたのがアメリカンシードだ。克己氏いわく「同世代で1000頭くらい見て、最もバランスの良い馬」だったそうだ。
アメリカンシードは芝でデビュー勝ちをすると昨年の皐月賞(G1、12着)にも出走。「父の所有馬としては初のクラシック出走」と綾花さんも喜んだが、次走の自己条件でも敗れるとダートに路線変更。いきなり圧勝続きで3連勝。その後、重賞では連敗したが「この馬も私が研修した米国の育成牧場で育てられたので、いつか向こう(米国)へ連れて行きたいです」と綾花さん。それが父と牧場に対する恩返しになれば…と続けた。同馬は今週のエルムS(G3)に出走予定。改めて期待したい。(ターフライター)