【追憶の東京新聞杯】95年ゴールデンアイ 降雪のためダート変更 その裏にさまざまな人間模様があった
2024年1月31日 06:30 95年東京新聞杯といえば、雪によるダート変更で、グレード制導入以降、史上初めてG3の格付けが取り消された一戦として語り継がれている。
11頭立て。勝ったのは5番人気、7歳馬のゴールデンアイ。5歳時の函館記念以来となる重賞2勝目。当時33歳の田中剛騎手(現調教師)にとっては平地重賞初勝利。それまで障害重賞を7勝しており、待望の美酒となった。
しかし、田中剛騎手に笑顔はなかった。「昨夜は考え込んでしまった。もう騎手を辞めようかと…」。
それは東京新聞杯の前日、2月4日の東京5R、障害未勝利戦のことだった。田中剛騎手は6番人気ニューリーダー(柄崎義信厩舎)に騎乗したが、落馬で競走中止。そのあおりでジリオン(柄崎孝厩舎=栗原洋一騎手)も落馬、競走中止となった。
ともに予後不良。田中剛騎手は柄崎義厩舎所属だったが、師匠と、その息子である柄崎孝師の馬を同時に予後不良にしてしまったと心を痛めた。
だから、4角10番手から馬群を割ってのごぼう抜きVにも田中剛騎手には笑顔がなかったのだ。報道陣は「この勝利で少しは(無念の思いが)晴れたかな」という言葉を引き出すのが、やっとだった。
ゴールデンアイは柄崎孝厩舎の所属だ。その柄崎孝師にも笑顔はなかった。理由がある。ゴールデンアイそっちのけで10着に敗れたホマレオーカンに言及したという。
「ダート変更ならホマレオーカンは当然、欧米のように“出走取消”を認めるべきですよ。ダートはつらいな、という馬でも馬券は売れてしまう。ダートを走る疲労度も計り知れないし、何より故障でもしたら…。競馬会と話し合って今後の課題としたい」。
ホマレオーカンはサクラユタカオー産駒。それまで23戦したが全て芝だった。柄崎孝師は当時、日本調教師会関東副本部長。ダート変更でも、格付け取り消しでも、管理馬を出走せざるを得なかった、他の調教師の思いを代弁したのだろう。
この日の東京は1R発走が11時に繰り下げられ、12競走全てがダートで行われた。ちなみに、同日の京都では、きさらぎ賞。朝日杯3歳Sでフジキセキに首差敗れた敗れたスキーキャプテンが単勝1・0倍の1番人気。武豊騎手に導かれ、見事人気に応えた。