音無秀孝師「悔いない。いい調教師人生」JRA・G1通算14勝に通算996勝 大台前にラストウイーク
2025年2月26日 05:25 今年は東西トレセンで8人の調教師が3月4日で引退(定年7人、勇退1人)する。ホースマン人生を振り返る連載「さらば伯楽」も最終回。音無秀孝師(70)は騎手時代にクラシック制覇、調教師に転じてからJRA・G1通算14勝を挙げた名伯楽。藤沢則雄師(70)、石毛善彦師(70)も今週がラスト。それぞれが馬を愛した人生を回想する。
調教師の熱い思いを乗せた23日のフェブラリーS。幸が懸命に手綱をしごきムチを振る。サンライズジパングは気迫の追い上げを見せたが惜しくも2着。「またいい時がある」。唇をかんだ音無師だが、三本の矢で挑んだ最後のG1。やり遂げた思いもあったはず。JRA通算996勝。1000勝の大台に4勝まで迫り、迎えたラストウイークだが焦りも気負いもない。
「全く気にしてない。(この数字で)むしろ良かったと思っている。完璧なものは何もない。それが人生だから」
夢をかなえた。つかみ取ったと言うべきだろう。宮崎県出身。熊本県にほど近い山村に生まれ、家業は炭焼き業。中学卒業後は大阪・梅田で就職。3年間務めたコック時代を振り返り「あのまま続けた方が良かったかもしれんな」と冗談めかして笑うが、調教師としての独創力、創意工夫と行動力を思えば飲食業での成功もあり得る話だ。
10代半ば、趣味として触れた競馬。漠然と騎手を夢見た。もちろん乗馬経験などないが迷いはなかった。73年に栗東の田中好雄厩舎に騎手候補生として入門。75年から田中良平厩舎。騎手試験合格が79年。24歳の遅いデビューだった。
JRA通算84勝。思い出の馬にミスラディカル(83年の京都金杯、朝日チャレンジCなど25戦7勝)の名を挙げる。「とにかく根性があった。この馬で東京の大きなレースに乗せてもらったことがオークスにつながった」と振り返る。85年ノアノハコブネ(21番人気)でオークスを勝つが、晩年は乗り馬に恵まれなかった。「(騎乗は)ローカルばかり。38歳だったし、もう辞め時だなと」
最初「ダメ元で受けた」調教師試験は3回目のチャレンジで難関を突破。95年に厩舎を開業。焦燥の日々が待ち構えていた。初年度の勝利は日迫厩舎から引き継いだイナズマタカオーの北九州記念の1勝のみ。「2年か3年はリーディングの“どんけつ”を走っていたんじゃないか」
理想と現実。当初、思うような調教もままならなかった。教えを受けたのは同郷・宮崎の先輩でもある橋口弘次郎師。坂路調教を軸とし自分のスタイルが確立できてからは勝利数を伸ばし、続々といい馬が入って来るようになった。06年高松宮記念(オレハマッテルゼ)で初G1制覇。07年はフェブラリーS(サンライズバッカス)、皐月賞(ヴィクトリー)でG12勝。10年はJRA52勝を挙げ、調教師リーディングに輝く。押しも押されもしない一流トレーナーの座を獲得した。
「ジョッキーと調教師は全然違う。人づくり、馬づくりをしないといけないのが調教師だから」
馬を愛し人を育てた。積み重ねた数字はチームでの勝利。JRA・G114勝。JRA重賞90勝。JRA通算勝利は996勝だが、海外・地方を含めると1025勝。とっくに大台は超えている。
「悔いも何もない。もういいわと言うぐらいやった(笑い)。恵まれた面も大きかったけど、いい調教師人生だったと思う」
ホースマンとして夢をかなえ、きら星のような足跡を残した。いよいよラストウイーク。馬を愛し、馬に愛された名伯楽が最後の戦いに挑む。 (オサム)
≪中山記念が重賞最後の戦い≫
音無厩舎がラストウイークの東西重賞に2頭を送り出す。中山記念のカラテは前走AJC杯が11着とあって渋い表情。師は「2桁着順ばかりで年齢的にも上積みはどうか。調子がいいか悪いかは追い切りを見てから」。阪神のチューリップ賞にはサウンドサンライズがスタンバイ。「前走(エルフィンS7着)は後ろからになり、しかも行った行ったの展開だった。体がないし、まだ非力」と控えめに話す。こちらは愛弟子・松若が手綱を取る。
◇音無 秀孝(おとなし・ひでたか)1954年(昭29)6月10日生まれ、宮崎県出身の70歳。73年から騎手候補生(栗東・田中好雄厩舎→田中良平厩舎)。79年騎手デビュー、93年引退。JRA通算1212戦84勝、うち重賞6勝。95年に厩舎開業。JRA賞は04年優秀技術調教師、09年最多賞金獲得調教師、10年最多勝利調教師を受賞。JRA通算8746戦996勝。地方・海外含めれば8896戦1025勝。