【追憶の大阪杯】19年アルアイン 松山、北村友騎手に初G1を贈る 人気薄でも侮れなかった器用な名馬
2025年4月2日 06:45 アルアインは現役時にG1を2勝した。皐月賞と5歳時の大阪杯だが、この2勝には多くの共通点があった。
まずは、今やG1をいくつも勝つようになった騎手の、最初のG1制覇となったことだ。
17年皐月賞は当時27歳・松山弘平騎手にとっての初G1制覇。平成生まれのJRA騎手としてG1一番乗りとなった。「競馬を教えてくれた祖父に報告したい」と目を真っ赤にした松山騎手は、このアルアインでの勝利をステップボードとして、20年にデアリングタクトで牝馬3冠制覇へと飛躍する。
19年大阪杯は北村友一騎手にとっての初G1制覇となった。当時32歳。待ちわびた勝利だというのに本人はきょとんとしていた。「ここで勝つの?という感じ。唐突すぎて、こみ上げるべきものがこみ上げてこない」。それだけリラックスして乗れていたということだろう。
G1未勝利の騎手にG1を勝たせる。これは馬に、操縦性がいい、気持ちが変に高ぶらない、などのプラスの要素が多いからと推察できる。アルアインは恐らく、乗りやすい馬だったのだろう。
その北村友騎手の好騎乗を振り返る。3番枠から4番手付近のインで流れに乗ったアルアイン。直線を向いて、インを突いた。逃げたエポカドーロを素早くかわして残り250メートルで先頭。外から食い下がるキセキ、内から迫るワグネリアンをしのぎ切り、首差振り切った。
「この馬はスムーズだと燃えない。だんだんと萎えていってしまう。だから、あえて馬の後ろで我慢させた。接戦になったが、直線でステッキは使わなかった。気分を害することがないように」
馬の気持ちを理解し切っての勝利。北村友騎手のいいところがフルに発揮された1勝だった。ここから同騎手は“ケチャップドバドバ状態”に入る。クロノジェネシスとのコンビでG1を3勝。レシステンシアを阪神ジュベナイルフィリーズ制覇へと導いた。そして昨年のホープフルSはクロワデュノールで完勝を収めた。
皐月賞Vと大阪杯Vの共通点。もう1つは、ともに9番人気だったということだ。
偶然で片付けるのは簡単だが、こういう見方をしたい。この時の皐月賞、大阪杯には、ともにレースや馬場状態に特徴があった。その特徴、特性に合わせた走りをアルアインが見せ、人気のなさを覆したのだ。
17年皐月賞はアルアインの勝ちタイムが1分57秒8という高速決着となった。スピードに秀でたマイラータイプが力を発揮しやすい競馬だったといえる。直前の毎日杯を好タイムで勝ったことで示したスピードを再度、大舞台で披露した。
2着ペルシアンナイトは同年マイルCS制覇。ダービーを制したレイデオロが5着、のちにジャパンCを勝つスワーヴリチャードが6着に沈んだのもうなずける。スピード負けしたのだ。アルアイン向きの競馬になり、そのチャンスをしっかりとモノにした。
19年大阪杯はイン有利の馬場だった。アルアインは道中、徹底的にインを走って、アドバンテージを存分に享受した。同時に距離ロスを減らし、マイル寄りになっていた自らの傾向を幾分、打ち消すこともできた。インでも変に動揺しない精神力も持ち合わせていた。
人気はなくてもレースが自分向きとなった、あるいはレースの特徴に自分を合わせにいった。アルアインには運も器用さもあり、9番人気でも勝てるだけの馬だった、ということだ。
種牡馬となったアルアインからは、すでにコスモキュランダという孝行息子が出た。こちらは皐月賞2着。中山2000メートルと2200メートルに強く、道中でポジションを上げる機動力を持ち合わせている。確固たる特徴を身につけているあたり、いかにもアルアインの子だな、という気がする。いつか9番人気での一発がないか、期待したい。