【追憶の桜花賞】10年アパパネ “栗東滞在”でまず1冠 国枝師に飛躍をもたらした名牝

2025年4月9日 06:45

桜花賞を制したアパパネ(2010年4月11日撮影)

 言わずと知れた3冠牝馬による第1冠制覇である。アパパネにとって阪神ジュベナイルフィリーズに次いでのG1・2勝目だった。

 今、VTRを見直すと、なかなかハードな競馬だった。

 スタート後、向正面で結構、行きたがっていた。直線を向いて、外に持ち出すのに時間を取られ、残り300メートルの地点では、これで本当に届くのか?と思うほど、前との差が開いていた。

 裏を返せば、そんな苦しい状況をひっくり返して桜の頂点をつかむほどだから、3冠に輝くことができたのだろう。

 今や、国内3本の指に入るほどの名トレーナーとなった国枝栄師。アパパネ以前にもブラックホーク、マツリダゴッホなどでビッグレースを制していたが、その地位を盤石なものとしたのが、このアパパネではなかったか。

 アパパネといえば筆者が思い出すのが“栗東滞在”だ。関東馬が、関西でのビッグレースの前、栗東トレセンに滞在して最後の仕上げを行うのだ。

 輸送が今ほどスムーズでなかった昔は、関西馬が東京競馬場や美浦トレセンに滞在したこともあったが、高速道路が整備され、馬運車も進化した現代は、前日の直前輸送が一般化した。そこをあえて、一世代前のやり方に“戻した”のが国枝師だった。

 もちろん、そこには狙いがある。直前の輸送距離を減らす。また、当日の輸送にする。そのことでレース前の馬への負担を減らす。これが最大の狙いだ。

 だが、栗東に滞在することの副産物も大きかった。当時は栗東の坂路の方が美浦よりも距離が長く、勾配もきつかった。よりハードに鍛えられるのだ。

 これは国枝師でなく、同じく積極的に栗東滞在を取り入れていた小島茂之師が話していたことだが、栗東は逍遥馬道のクッション性が高く、ただ歩くだけでも非常に体力を使うのだという。そこで日常的に全身を使うことになる。そんなメリットもあったようだ。

 スタッフ任せでなく、国枝師自身も何度も栗東を訪れ、関西馬の関係者とコミュニケーションを取っていた。当時は関西馬が非常に強く、簡単には覆りそうにない西高東低ムードだった。「関西馬を倒すには関西馬になっちゃえばいいんだよ」。国枝師がそう語り、にやりとした表情が今でも忘れられない。

 そんな、たゆまぬ努力が実を結ぶ。アパパネが3冠牝馬となったことは前述の通りだが、マイネルキッツ、そしてアーモンドアイ、サークルオブライフ、アカイトリノムスメなどの活躍へとつながっていくのだ。

 栗東トレセンの、コースから遠く離れた場所にある出張馬房。通称・関東村。そこで、担当厩務員と一緒に馬の手入れに汗を流した国枝師の姿は今も目に焼き付いている。あの日々があったから、押しも押されもせぬ大トレーナーとなったのだな、としみじみ思う。

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