“メイショウ”松本好雄オーナー死去 JRA個人馬主初の2000勝を見届け…87歳、膵臓がん
2025年9月3日 05:30 功績は筆舌に尽くせない。馬主として「メイショウ」の冠名で親しまれる松本好雄(まつもと・よしお)さんが膵臓(すいぞう)がんのため8月29日に死去した。2日、日本馬主協会連合会が発表。87歳だった。通夜と告別式は近親者のみで執り行われ、後日お別れ会を予定している。
馬主免許を取得した74年から半世紀以上にかけて日本競馬の発展に寄与してきた名匠の訃報に、競馬界は悲しみに暮れた。座右の銘である「人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる」を信条に、競馬開催の根幹を担う馬産地と身近に、丁寧に付き合う姿は馬主の鑑(かがみ)と称えられてきた。冠名から“メイショウさん”と親しまれ、「メイショウさんがいなければ廃業していた」と買い支えに感謝する牧場関係者もいるほどだ。
76年1月10日にメイショウグリーンが初勝利。25年後の01年宝塚記念、メイショウドトウがG1初制覇を飾った。先月23日には自身で「“ばか”でないとできない」と振り返った、JRA通算2000勝を達成。生前、競馬の魅力について「小さな牧場で、ご夫婦で頑張っている方もいらっしゃってね。出走するまで大変なことも多いんです。そこで育った馬を私が馬主となり、厩舎に預けて、調教師さん、調教助手さん、厩務員さんが一生懸命、頑張ってくれて競走を迎えていく。ファンの方も盛り上げてくれる。この過程が楽しみなんです」と語っていた松本さん。尊敬を集める人格者が成し遂げた、個人馬主として初の金字塔だからこそ、関係者はこぞって笑顔で祝辞を贈った。
今年、30年以上付き合いが続く三嶋牧場の生産馬メイショウタバルが宝塚記念を制した。松本さんにとっては12年ぶりのJRA平地G1勝利だった。同馬を管理する石橋師は訃報に接し、「言葉が見つからない。信じたくないのが本音。競馬で怒られたことはないけど、“頼りない調教師だけど頑張って”なんてジョークも交えて激励してくれた。もう少し恩返ししたかった」。騎手時代にもメイショウサムソンで06年皐月賞&ダービー、07年天皇賞・春を優勝。「公私にお世話になりっぱなしだった。預かっている馬がいるので、これからの活躍を見守っていただけるとうれしい」と声を絞り出した。
ドトウ、サムソン、タバルだけでなく、05年フェブラリーSを制した快速馬ボーラー、武幸師とのタッグで感動的な牝馬G1・3勝を挙げたマンボ、絶対王者オジュウチョウサンのJ・G1連勝記録を止めたダッサイ、ダート交流Jpn14勝の現役馬ハリオが頂点を極めた。G1馬の他にも、枚挙にいとまがない個性派が「青、桃襷(たすき)、桃袖」の勝負服を背に、我々の心を熱く動かしてきた。身近に接した関係者はもちろん、競馬ファンからも絶大に愛された“メイショウさん”が残した哲学は、これからも競馬界を支えていく。
◆松本 好雄(まつもと・よしお)1938年(昭13)1月6日生まれ、兵庫県明石市出身。明石高校から千葉工業大卒。船舶用エンジンやエネルギー産業、航空機部品加工などを手がける株式会社きしろ代表取締役会長。74年に馬主資格を取得。冠名メイショウは「明石の松本」が由来で名将とかけている。主な所有馬にメイショウドトウ、メイショウボーラー、メイショウサムソン、メイショウマンボ、メイショウタバルなど。2005年より日本馬主協会連合会会長、その後、名誉会長を務めた。07年に紺綬褒章、10年に旭日小綬章を受章。