【追憶の京成杯AH】05年マイネルモルゲン 負傷休養明けの柴田善臣が導いた“復活”の連覇

2025年9月3日 06:45

05年京成杯AHをマイネルモルゲンとともに制した、当時39歳の柴田善臣は満面の笑み

 「京王杯」だった頃も含め、“連覇”が多い一戦である。サクラシンゲキ(80、81年)、ブレイクタイム(02、03年)、マイネルモルゲン(04、05年)、トロワゼトワル(19、20年)。今回はマイネルモルゲンを取り上げたい。

 筆者のマイネルモルゲンへのイメージは「1番人気にきっちり応える馬」である。今回、同馬の戦績を改めて調べたところ、その印象は間違っていなかった。

 2戦目の新馬戦(当時は出走可能だった)、レコードで制した百日草特別、ベンジャミンS、武豊を鞍上に指名したポートアイランドSと、3歳秋までに勝った4戦は全て1番人気。2着以下に敗れたレースは、ことごとく1番人気でなかったのだから恐れ入る。まさにオッズが分かる馬。というか、当時の競馬ファンの勝ち馬を見極める目が素晴らしい。

 だが、ポートアイランドSを最後にマイネルモルゲンは引退まで1番人気に推されることはなかった。ファンの評価以上の着順を自らの手でつかみに行く必要があった。

 4歳春のダービー卿チャレンジトロフィー。外から勢い良く伸びて、4頭が0秒1差以内に収まる激戦を制し、初重賞を手にした。この時は7番人気だった。

 続く安田記念は15番人気だったが、勝ったツルマルボーイから0秒4差の7着と奮闘。

 4歳秋初戦は京成杯AH(2番人気)に挑み、道中で動いてハナを奪取。後藤浩輝騎手の好判断からそのまま押し切って重賞2勝目を手にした。

 だが、そこからマイネルモルゲンは急速に輝きを失う。富士S(12着)、マイルCS(10着)では勝ち馬から1秒以上離された。武豊騎手にスイッチした岡部幸雄騎手引退記念も9着。続く一戦はデビュー戦以来のダート。新潟ダート1800メートルの関越Sに柴田善臣鞍上で挑み、2番手追走から4着に粘り込んだ。

 迎えた5歳秋の京成杯AH。一応、連覇を懸けた戦いではあったが、陣営にそこまでの心の余裕はなかった。芝はもう頭打ちかもしれない。ダート戦に復活の光明も見えた。今回、惨敗を喫するようならダート路線に完全に転向しよう。そんな思いだった。

 陣営の気持ちを馬も察したか、マイネルモルゲンは抜群の折り合いを見せる。「こんな競馬ができれば文句はない」。柴田善は鞍上でほくそ笑んでいた。勝負どころ、絶好の手応えで外に持ち出す。坂上、柴田善の左ムチ連打に馬も応え、逃げるニシノシタンを頭差かわした。連覇達成だ。

 「中山マイルなら走ってくれると思っていた。鞍上が自信を持って乗ってくれた」。堀井雅広師も満足そうだった。マイネルモルゲンは、この後も芝のレースを諦めることはなく、芝とダートを交互に走りながら、最後は中山芝マイルのニューイヤーS(11着)を走って引退した。

 重要な一戦を勝ち切った柴田善は報道陣に囲まれ、最高の笑みを浮かべていた。前日の紫苑S(当時オープン)ではコスモマーベラスをVに導いており、連日の中山メーン制覇だった。

 この05年の夏。当時39歳の柴田善は1カ月間、戦列を離れていた。頸椎(けいつい)症性脊髄(せきずい)症。だましだましでなく、体調万全の状態で馬に乗り、依頼に応えたい。そんな思いだった。「今後も期待に応えられるよう、体を大事にしていきます」。味のある言葉でインタビューを締めた。

 今週、柴田善は昨年12月からの長かった休養を終え、実戦復帰する。左肩腱板断裂から手術、リハビリを乗り越えた59歳は「肩は休む前より、ずっといい状態」と笑顔を見せた。

 京成杯AHには昨年、コンビを組んで2着だったタイムトゥヘヴンで参戦。勝てば、05年マイネルモルゲン以来の京成杯AH制覇となる。20年ぶりにお立ち台で「今後も体を大事に」を聞きたいところだ。

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