松本好雄オーナー死去…競馬を愛し成し遂げた「“ばか”でないとできない」偉業

2025年9月3日 07:00

今年の宝塚記念を制し、口取り写真に納まるメイショウタバルと(右から)武豊騎手、松本オーナー、石橋調教師ら関係者

 【悼む】明石が生んだ巨匠が大きな星になってしまった。明石の松本で「明松」。名将ともかけている。突然の訃報に接し、信じられない心境である。

 なぜかというと7月31日と8月14日の両日にわたり、松本好雄オーナーが時間を割き、取材対応してくれたからだ。

 7月下旬、メイショウのレーシング・マネジャーを務め、本紙西日本版競馬面でコラムを執筆している青木雅人さんから「メイショウがJRA通算2000勝まであと5勝です」と連絡を受けて本紙はすぐに動いた。ただ、松本オーナーに連絡が付くかどうか分からない。経営されている、きしろ本社にタイミングを見て電話をすると快く対応してくださった。

 「今の心境ですか。分かりました。これから明石に来ますか。いくらでも話しますよ」

 私が今、栗東トレセンで取材中の旨を伝えるとJRA2000勝までの道程を語ってくれた。その中で公になっていない、ほのぼのとしたエピソードの一つが「30代半ばで馬主になったんですが実は、母親に内緒でなったんですよ。それから、しばらくしてバレて怒られましたが(笑い)」と楽しそうに話していたのが印象的だった。

 「よくもまあ、50年ちょっと個人馬主をやってきたなと思いますよ」

 8月1日に本紙競馬面の頭で「メイショウ松本好雄氏、個人馬主で史上初のJRA2000勝まであと5勝」が掲載され、昼過ぎにオーナーから電話があった。

 「いい記事を書いていただき、ありがとうございます。今日の紙面、みんなに自慢します」

 こう言ってもらい、うれしかった。それから「お礼です」と今年の宝塚記念、メイショウタバル優勝記念品まで送ってくださった。奇麗で重厚感があるバカラのグラス。本職の船舶部品などを製造する株式会社きしろを世界有数の企業にまで成長させた技術の匠(たくみ)は気遣いや気配りも超一流である。

 あと1勝に迫った週も長々と電話で対応してくれ、取材後半に「ちょっと今、体調がもうひとつでね」との言葉だけが気になっていた。それから2週間少しで天命を全うするとは…。不滅の大偉業を達成した翌週、静かに旅立ってしまった。記録に際してJRAから発表された松本オーナーのコメントは心底、競馬が大好きと感じさせる語りであった。

 「2000勝という数字は年間40から50勝を続けなければいけないということで“ばか”でないとできないんじゃないでしょうか」

 競馬を愛し、競馬関係者に対して、ずっと優しい思いを注ぎ続けた。義理人情に厚く、人を、馬を、これほど大切にされた個人馬主は最初で最後であろう。まさに唯一無二の偉大すぎる翁(おきな)であった。

 松本好雄様、たくさんの楽しい話や、いい話を聞かせていただき、感謝の言葉しかありません。余命を覚悟しながら30歳年下の愚か者に話してくださった恩は私の宝物です。天国で大親友の名人・武邦彦さんと一緒に愛馬メイショウの活躍を見守ってください。合掌。 (レース部専門委員・古川 文夫)

特集

2025年9月3日のニュース