【追憶のマイルCS】94年ノースフライト たった1年でG1へと上り詰めた名牝の輝かしきラストラン
2025年11月19日 06:45 当時、「最も堅いG1」と言われたマイルCS。そのフレーズにふさわしい決着だった。1着ノースフライト(1番人気)、2着サクラバクシンオー(2番人気)、3着フジノマッケンオー(3番人気)。まさにカッチカチである。
4角を回り、先に先頭に立ったサクラバクシンオー。そこにノースフライトが襲いかかる。ノースフライトがかわす。懸命に食らいつくサクラバクシンオー。だが、残り50メートル、ノースフライトが振り切った。最後は1馬身半差、決定的な着差をつけ、ノースフライトが春の安田記念に続く、春秋マイルG1制覇を達成した。
ノースフライト陣営は、ここが引退戦と表明しての出走だった。「最後を飾れてホッとしましたね」。角田晃一騎手(現調教師)が胸をなで下ろす。このマイルCS当日(11月20日)の2日前(18日)が24回目のバースデーだった。ファンからプレゼントも届いていたが、一切、封は開けなかった。「ノースフライトで勝ってからがお祝いです」。気持ちを集中させて臨んだ一戦だった。
太く短い、競走馬生活だった。なかなか仕上がらず3歳の5月1日が初出走。新潟で9馬身差の完勝だった。続く500万特別も圧勝。900万特別は調整が順調でなく5着敗退。
ここで陣営は驚きの1手に出る。500万を勝ったにすぎない馬を府中牝馬S(G3)に出走させるのである。ファンは4番人気の支持を与え、4角3番手から抜け出して重賞初制覇を飾った。
エリザベス女王杯ではホクトベガの前に2着も、春2冠のベガに先着。続く阪神牝馬特別(G3)からは4連勝で安田記念まで勝ち切り、頂点へと上り詰めた。
つまり、デビューから安田記念制覇まで1年しか経過していない。いきなり現れて、疾風のようにG1まで駆け抜けたのがノースフライトだった。
スワンSでサクラバクシンオーの2着に敗れた後、加藤敬二調教師はマイルCSがラストランであることを発表した。厩舎の番頭である夏村洋一助手が報道陣に対し、「“有馬記念に使え”って書いてよ。馬主さんの考えが変わるかもしれないからさ」と異例の“抵抗”を試みたほどだったが、馬主である大北牧場の考えは変わらなかった。
大北牧場は一般の馬主でなく、牧場主である。やはり、ノースフライトの本当の仕事は牧場に戻って、繁殖牝馬として牧場を支えることだと認識していたのだろう。約1年半の現役生活はあまりに短いが、その先の長い繁殖生活も同様に重要なのだ。
ノースフライトは牧場に戻ると、3番子からミスキャスト(5勝)が出現。そのミスキャストは種牡馬となってビートブラック(12年天皇賞・春)を出した。ノースフライトがあれだけ強かったマイルでなく、その倍の距離での戴冠。競馬の面白さである。
