【根本康広 我が道9】騎手試験4回目でついに合格 そしていよいよ迎えた最初のレースは
2026年10月9日 07:00 長期騎手講習生で私ほど下乗り生活が長かった人はいなかったのではと思います。教官からは「お前たちの教材や、実習で使う馬にかかる費用は1人当たり1000万円以上はかかっているんだからな」と言われていました。お金がかかるという理由もあって、普通は3回も試験には落ちないんですよ。当然、後輩たちがどんどんデビューします。レースの前、私は馬に騎乗する後輩の扶助のために足を上げなくちゃいけないんです。それまで先輩面をしてきつく接してきた後輩たちのサポートに回るわけです。今はもうないでしょうけど、当時は後輩に厳しく当たらないといけない時代。もう悔しいというか、恥ずかしいというか。それが一番つらかったかもしれない。何ともやり切れない気持ちでした。
同じ厩舎に所属した兄弟子の星野信幸さんも自分には厳しかった。普段から「お前は下手、バカだ、ジョッキーになんかなれねえ」と散々な言われようでした。ある日、飲み屋に連れて行かれたことがあります。自分はまだ20歳になる前だから「お前はオレンジジュースでも飲んでろ」と言われて。それでも試験に落ちたことを慰めてもらえるのかなと思ったら、とんでもない。飲み屋の女の子たちを盛り上げるために「こいつは下手だ。だからテキ(調教師)には取るなと言ったんだ」と悪口を言われて。そしたら「ジュース飲み終わったならもう帰ってもいいぞ」ですから(笑い)。令和の今はずいぶん上下関係も緩くなりましたけど、その頃は今とは全く違う弟子同士の関係でした。
そして4回目の試験で何とか合格できました。3回目の試験が終わった後は「これでダメならもう騎手の道は諦める」と開き直っていたのが良かったのかもしれません。師匠も昔かたぎの人ですから、特別喜んだりはしていなかったです。かけられた言葉は「良かったな」くらいのもの。私もうれしいというより、やっとデビューできるんだと安心したような気持ちが強かったような気がします。
長期騎手講習生になるための最初の面談で「自分は試験を受けろと言われただけで騎手になるつもりはない」と言い切った人間がようやくスタートラインに立つことになります。何より私以上に両親がホッとしていたと思います。父は自分が競馬好きだからと、半ば無理やりに私を競馬の道に導いた経緯がありました。何度も試験に落ちて下乗り生活を続けている自分を見て「この子はもう騎手にはなれないんだろう」と思っていたはずですから。
そしていよいよ迎えた最初のレースは77年3月5日(中山9R)。ビゼンアカマツという馬に乗りました。もう50年も前ですが、その時の光景は今でもはっきりと覚えています。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。
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