【根本康広 我が道11】騎手人生を変えた障害レース 転機はデビュー3年目の79年、いきなりやってきた

2026年10月11日 07:00

現在の美浦トレセンの障害調教コース

 エドリュウは何人かの騎手が乗り替わりながらも、7連敗となかなか勝てませんでした。私が初めてコンビを組んだレースはダート1200メートルで、人気はなかったはずです(9番人気)。直線は無我夢中。ゴールした時点では勝ったか負けたかも分からなかった。それくらい必死でした。1977年3月19日、騎手としての初勝利を挙げました。

 物静かな師匠(橋本輝雄調教師)は4回目でようやく騎手試験に受かった時と同じで「良かったな」くらいのものでした。自分は本当にうれしかった。競馬で勝った時のグッと湧き出るような高揚感は本当に騎手にしか分からないと思います。もちろん両親も喜んでいました。人気薄での馬券もしっかり取ったはずですから(笑い)。

 師匠は障害レースが好きでした。自分が初めて厩舎に入った時に障害馬が7頭くらいいました。下乗りとしてお世話になった2日目には障害の練習をしていました。東京競馬場の実際にレースで使う障害を跳ぶんです。最初はおっかなびっくりですよ。私は馬事公苑で「危ないから根本は障害に乗るな」と言われるくらいに下手でした。加藤和宏、佐々木晶三が“15年に1人の障害の鞍はまりがいいジョッキー”と言われていたのとは対照的でした。

 今の制度でも平地の騎手免許を持っている騎手は障害レースに乗せられるんですよ。ただ、本人が「障害が好きだから乗りたい」と、自分から言ってこない限りは乗せられません。本人にその気がないのに、昭和の時代みたいに師匠が無理を言って乗せるとケガをします。スピードに乗りながらジャンプをするので当然平地のレースより落馬が多くなるし、後ろ向きな気持ちで乗るとケガの確率は上がります。ただ、私の時代は今の若手みたいに自分の意見が通るわけではありません。「乗れ」と言われればレースに乗りましたし、障害コースでの調教もつけました。

 初めての障害レース騎乗は今でも忘れません。レース前、先輩の騎手に「危ないから他の馬の邪魔をしないようにずっと外を回ってこい」とアドバイスされました。みんなが障害の内側をロスなく飛越する中、自分だけは3周ずっと外を回って障害の真ん中をジャンプしていました。とにかく落ちないよう、他の馬に迷惑をかけないことだけを考えていました。それでも結果は3着だったんですけどね。

 基本的に平地のレースを中心に乗って、最後まで障害の未勝利戦は一度も勝てませんでした。ただ、こうして師匠の指示の下で調教やレースで障害に触れ続けたことが、私の騎手人生を動かす大きなきっかけとなります。転機はデビュー3年目の79年に、いきなりやってきます。

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

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