ハナ譲らない武士澤 マルターズアポジーに目を奪われた大学生時代
2026年10月29日 05:13 日々トレセンや競馬場など現場で取材を続ける記者がテーマを考え、自由に書く東西リレーコラム「書く書くしかじか」。今週は東京本社・後藤光志(30)が担当する。記者が大学生の時、競馬にのめり込むきっかけとなった馬がマルターズアポジー。現役時代の主戦騎手で、現在はJRA競馬学校の教官を務める武士澤友治氏(48)に数々の思い出を聞いた。
皆さんの好きな馬は?記者にとってはマルターズアポジーが特別な一頭。初めて同馬を見たのは大学2年生の時、重賞初制覇を飾った16年福島記念だった。武士澤氏とのコンビで重賞全3勝を含む22戦5勝(通算40戦8勝)。同氏が騎乗した全てのレースでハナを譲らなかった。素早い二の脚とあふれんばかりの前進気勢。気がつけばいつも先頭を走っている。そんな“個性”に目を奪われた。
15年2月、中山2000メートルでデビュー。ダッシュを利かせて先手を奪うと、楽な手応えのまま後続を3馬身突き放した。同氏は「乗っている感じは短距離馬。中距離は持つかなという感じでしたが圧勝でしたね」と当時を述懐する。「怖がりな馬。調教で口が利かなくなることがあったり、乗っていて危ないこともあった」と精神面に課題がある一方、「気性以外は出来上がっている。体の強さ、芯の強さがあった」と素質の高さも感じ取った。
いつも難なく先頭に立つ。そんなレースぶりとは裏腹に、愛馬とのコンタクトには常に“繊細さ”が求められた。「同型がいてもハナを切る自信はあった。ただ、ゲートに不安があったので、必要以上にプレッシャーをかけないように気を使った。それでもペースは速くなってしまうんですが(笑い)」。相棒の実力を再認識したのが17年の小倉大賞典。前半5F57秒6のペースを刻みながら逃げ切った。「暴走気味でしたからね。今までにないくらい気が入っていて、まさか逃げ切るとは。小回りや馬の若さがあって勝てたと思いますが本当に強かった」。
G1にも4度、参戦した。初挑戦は16年有馬記念。キタサンブラックなど豪華メンバーが顔をそろえる一戦でも“定位置”は譲らなかった。「(有馬記念に臨めて)うれしかったですよね。大阪杯の時もそうでしたが、キタサンブラックに寄られた時に馬が失速する感覚は凄く覚えてます。G1で一気に相手も強くなりましたからね。でもハナは譲らなかった。自分の競馬ができた」と振り返る。
ラストランの20年中山記念まで愛馬から学んだことは数え切れない。「怖がりだからポケットで一緒に回さなければ良かったかなとか、今でも思うことがある。ただ逃げるだけでも駄目だし、スローに落とせばいいものでもない。本当に印象深くて、考えさせられた。ジョッキー冥利(みょうり)に尽きるくらい楽しかったです」。
現在は競馬学校の教官として“経験”を未来のジョッキーたちに還元している。「教えるのは難しいです。自分の感覚をどう言葉で伝えるかがテーマ。人によって伝え方、受け取り方のニュアンスは違う。教えることもずっと勉強ですね」と試行錯誤の日々を送る。それも全ては、かわいい教え子たちのため。「世界に羽ばたくくらいのジョッキーになってほしいけど、それだけではない。現実にぶつかった時に、どう対処できるか。苦しい時も、それを解決してくれるのは馬。馬乗りはずっと学ぶしかないから」。武士澤教官もそうだった。思い悩んだ時でも、自らの決断を信じられる人材育成に心血を注ぐ。
◇武士澤 友治(ぶしざわ・ともはる)1978年(昭53)2月9日生まれ、青森県出身の48歳。97年3月、美浦・中野渡清一厩舎からデビュー。同年3月8日の中山3R(グリーンジョージ)で初勝利。06年アルゼンチン共和国杯(トウショウナイト)で重賞初制覇。JRA通算1万1624戦340勝(重賞5勝)。24年3月に現役引退。同年4月からJRA競馬学校の教官に転身した。
