33歳大往生キョウエイボーガンの幸せな馬生

2022年3月9日 10:00

92年、神戸新聞杯を制したキョウエイボーガン

 ▼日々トレセンや競馬場で取材を続ける記者がテーマを考え、自由に書く東西リレーコラム「書く書くしかじか」。今週は東京本社の田井秀一(29)が担当。1月1日にこの世を去ったキョウエイボーガンの馬生を振り返り、引退競走馬について考えた。特別編につき、無料で公開する。

 元日。キョウエイボーガンが息を引き取った。33歳。競馬ファンの記憶にある彼の姿は、2度の重賞勝利ではなく、92年の菊花賞だろう。ボーガンは無敗3冠が懸かるミホノブルボンと同じ逃げ馬。前哨戦で控えて結果が出なかったため、スタートと同時に先頭へ飛び出した。結果は16着。悲劇はレース後だった。ハナを取れなかったブルボンがライスシャワーに敗れたことで、ボーガンは“邪魔者”“戦犯”呼ばわり。前年(トウカイテイオー=菊花賞不出走)に続き、無敗3冠の夢がかなわなかったファンのうっぷんがボーガンに向けられた。

 その後、94年まで走り続けたが勝つことができないまま現役を引退。小柄なボーガンは乗馬として買い手がつかなかった。廃用の時が迫る中、同馬のファンであった主婦の女性が手を挙げる。「ボーガンを引き取りたい」。たった一人の善意で救われた平成元年生まれの命は、令和の時代までつながれた。女性が高齢となって世話が難しくなった晩年は、引退馬協会のフォスターペアレント制度(出資者を募る里親制度)を利用。33年の馬生を全うした。

 この訃報を特別な思いで受け止めた人が美浦トレセンにいた。オニャンコポンなどを管理する小島師だ。トレセンに入る前、ファンタストクラブ(北海道)で修行の身だった師の調教担当馬がデビュー前のボーガン。「右も左も分からなかった私にとっては先生のような存在でした。気持ちが強い馬で併せ馬でとにかく引っかかってしまって…。馬乗りとして重要な抑え方を教えてもらった」。現役時代の主戦騎手だった松永幹師とも連絡を取ったといい、「思い出深い馬だな、という話をしました。彼も“強烈に覚えています”と言っていましたね。私も本当に勉強させてもらいました。33歳、立派です」。穏やかな笑みを浮かべて空を見上げた。

 7年前にボーガンがけい養されていた乗馬クラブアリサ(群馬県)を訪れた小島師。「さすがにヨボヨボになっていたけど頑張って歩いていた。背中をさすってあげられたのは良かった」と振り返る。一方で、「ホースマンとして、携わった馬の“次”は凄く気にしています。ただ、追いかけすぎないようにしている」と複雑な胸中を言葉にしてくれた。毎年、厩舎には数十頭の若駒が入厩。当然、向き合える馬の数には限りがあり、それと入れ替わる形で移籍、引退する馬が存在する。その全てが馬生を全うできるわけではない。

 キョウエイボーガンのケースは一人の女性が人生を賭して、その命を救ったもの。簡単にまねはできない。ただ、現在は前出のフォスターペアレント制度など一口数千円から引退馬支援に参画できる制度が整いつつある。月々数万円しか拠出できていない記者の言葉に説得力があるとは思わないが、最後にお願いを。競馬ファンの皆さん、ボーガンのような幸せな競走馬を1頭でも増やすため、ご助力ください。 

 ◇田井 秀一(たい・しゅういち)1993年(平5)1月2日生まれ、大阪府富田林市出身の29歳。高校卒業後に道営競馬で調教厩務員を務めた。阪大法学部卒業後スポニチへ。19年春から中央競馬担当。引退馬協会会員。

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