小桧山悟師 29年間馬と筆を走らせた二刀流ホースマン 著作は全10点「活字で記録残したかった」

2024年2月28日 05:30

調教師を続けながら執筆活動でも活躍した小桧山悟師

 70歳定年制により東西7人の調教師が3月3日付で引退する。連載企画「さらば伯楽」最終回ではトレーナー&ライターの“二刀流”小桧山悟師が登場。二足のわらじを履きながら、馬と筆を走らせた29年間の調教師生活を振り返った。

 二刀流ホースマンはその勲章を右手中指にさりげなく着けている。第1関節の内側には長年の筆圧で盛り上がったペンダコ。騎乗馬の首が当たる第2関節には乗馬ダコ。「小指にはゴルフダコもある。3タコ(3打数ノーヒット)人生ですよ」。小桧山師は自虐ネタで笑いを誘いながら口火を切った。

 本業の調教師を続けながら出版した著作は10点。全5巻の「馬を巡る旅」シリーズでは競馬の枠を超えて馬を用いた伝統行事や在来馬の歴史、現況をつづった。全休日には馬の風景を求めて全国津々浦々を巡り、HBの鉛筆を白紙に走らせる。「パソコンも原稿用紙も使わない。小学生の頃から大学時代までガリ版刷りの会報や文芸誌をつくってきたから消しゴムも不要。15歳で始めた乗馬よりペンのキャリアの方が長いんです」。鉛筆を握るのは馬も草木も眠る丑(うし)三つ時。調教開始前の午前2時から2時間を日々の執筆活動に充てた。

 二足のわらじで馬もペンも走らせる。「活字で記録を残したい」の思いが原動力だ。「子供の頃から活字中毒なんです。調教助手時代には給料のほとんどが本代とカメラで消えた」。自宅には古書店を開けるぐらいの本の山。「何十年たっても本は残る。かつて競馬サークルの人間がこういうものを残したんだと示したかった。物書きの人には気づかないような視点でね。サークルの中にいないと書けないことがあるから」。

 著作活動を始めたきっかけは作家でJRAの馬主でもある浅田次郎氏が所有していた芦毛馬メダイヨンの転身だった。「京都・上賀茂神社の神馬になったというので見に行ったんだ。そのいきさつを調べているうちに記録として残しておかなきゃいけないと。別の人が書けばもっといいものができたと思うけど」。カメラの腕前はプロ級。「馬を巡る旅」の表紙を飾るメダイヨンの写真も自ら撮影した。

 「理想の厩舎を求めてきたが(中略)ここ10年でかなり近づき、最近はほぼ完成形といってもいい(中略)出来上がったところで引退となる」。調教師としての最後の著作「蹄音の誘い」にはこう記している。理想の厩舎とは?「スタッフみんながやるべきことを分かっていて、指示されなくても自発的に行動できる。そういう理想の集団をつくれた。厩舎を構えて30年近く。縁がないと思っていた重賞もお世話になった柴原オーナーの2頭、イルバチオとトーラスジェミニで勝てた。その一方で、スマイルジャック(ダービー2着)は俺じゃなければもっと走ったんじゃないかと。申し訳ないと思うが、悔いはない。青木、小手川、堀内。5年でうちの厩舎から3人も調教師になった。やり残したことはない」。

 ただし、ペンダコの持ち主には未完の仕事が山積みになっている。「これからは土、日曜も馬の伝統行事を取材に行ける。3月は馬を用いた祭りと引退記念のゴルフコンペ…」。腕を鳴らす指先には二刀流の勲章が固く盛り上がっていた。

 ◇小桧山 悟(こびやま・さとる)1954年(昭29)1月20日生まれ、兵庫県出身の70歳。ナイジェリアの高校を経て東京農工大卒。81年から美浦・畠山重則厩舎の調教助手。95年に調教師免許を取得し、96年開業。JRA通算7324戦218勝(27日現在)。うち重賞は03年アイビスSD(イルバチオ)、08年スプリングS(スマイルジャック)、09年関屋記念(同)、11年東京新聞杯(同)、21年七夕賞(トーラスジェミニ)の5勝。調教師業務の傍ら著作活動を通じて馬事文化の普及に努めた功績から23年度JRA理事長特別表彰を受けた。

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