【追憶のフェブラリーS】05年メイショウボーラー ダート転身で一気に頂点へ 師の直観で大オーナー説得

2025年2月19日 07:00

05年のフェブラリーSを制したメイショウボーラー


 活躍した期間は短い。しかし、見る者がまぶしさを感じるような輝きを放った。それがメイショウボーラーだった。05年フェブラリーSを1分34秒7のレコード(当時)で逃げ切り。そのレースぶりはとてつもなかった。

 その前に、フェブラリーSに出走するまでの歩みを振り返りたい。小倉でデビューし、新馬、フェニックス賞、小倉2歳SをV。デイリー杯2歳Sも2馬身差完勝して4連勝。だが、1番人気に推された朝日杯FSで首差2着に敗れると、にわかに雲行きが怪しくなった。

 父はタイキシャトル。クラシックに向かっても距離に不安がありそうだった。弥生賞2着、皐月賞3着。ダービーには向かわずNHKマイルC3着、安田記念11着。もどかしい結果が続き、古馬の壁にもはね返され、白星から遠ざかった。

 04年の暮れ、恐らく有馬記念ウイークだったと記憶する。それまで全12戦を芝で走ったメイショウボーラーについて、白井寿昭師が「ダートでもいけると思うんや」と報道陣に話した。

 父タイキシャトルのさらに父、デヴィルズバッグは米国のダートでならした名馬。母の父ストームキャットも米国の大種牡馬。ダートをこなす素地はありそうだった。2歳夏の頃、小倉競馬場の滞在時にダートコースに入れたところ、古馬のような動きを見せたことも指揮官の脳裏に鮮明に残っていた。

 ただ、松本好雄オーナーへの説得には難儀したらしい。競走馬の花形といえば芝ということで、なかなか首を縦に振らないオーナーを白井師は懸命に説得した。「必ず結果を出しますから」。師の言葉にようやくオーナーは折れ、同意したという。

 ダート転身初戦、05年ガーネットS。ここでメイショウボーラーは白井師の想像を超える走りを見せる。2番手をスイスイ追走して、あっさりと抜け出し、2馬身差完勝。続く根岸Sも7馬身差をつけて逃げ切った。

 予想以上の戦果だったが、他にもさまざまな効果をもたらした。カイバを残す日が続き、ストレス性胃かいようの兆候と診断されたことがあったメイショウボーラーだが、ダートを走り始めたところ、カイバ6升を平らげるまでに回復した。「ダート競馬がそれだけ馬にとって楽だということなんだろうな」。指揮官はサラブレッドの不思議を痛感した。

 そして迎えたフェブラリーS。もう砂適性に疑問をとなえる者など、どこにもいなかった。単勝2倍の1番人気。8枠14番からの発走だったが、スピードの違いであっさりとハナを奪った。

 そこからが圧巻だった。6馬身、7馬身…。どんどん後続を引き離していく。1000メートル通過は57秒8。さすがに競馬場がどよめいたが、直線を向いても逃げ脚に陰りは見られない。1分34秒7、レコードでの逃げ切り。「この馬、凄すぎる」。福永祐一騎手(現調教師)は思わず声を上げた。

 松本好雄オーナーは感嘆した。「ダートへの出走を渋った私を説き伏せた白井先生は本当のプロの目を持っている」。最大級の賛辞で指揮官のファインプレーを称えた。横では白井師が最高の笑顔を浮かべていた。

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