【根本康広 我が道2】「そんなところ、行かねえ!」 父が無断で騎手養成所に応募

2026年10月2日 07:00

母は当時としては長身でしたが、私はとにかく小さくて…

 東京都北区堀船中学校に入学した後は一応、ソフトボール部に入部しました。ただ、体が小さくて細くてとにかく体力がない。練習についていけず、1年くらいでやめてしまいました。その後は文化系の部活動に入ったはずですが、その時の記憶はあまりありません。真剣にやっていなかったし、印象に残るようなことがなかったのでしょう。友人と遊んだり、ブラブラしていました。

 当時は土曜も学校があったので休みは日曜だけ。日曜は両親に連れられて浅草の新世界や錦糸町の場外馬券売り場に行っていました。両親はパチンコを含めて賭け事が好きでした。当時の場外馬券売り場はまさに“鉄火場”という雰囲気。すぐに自動で払い戻しできたり、ネットで入出金できる今とは違って当たり馬券を換金するのも大変なんです。手作業でパチンと馬券に穴を開けるものですから、凄い列ができてね。これを換金しないと次の馬券が買えない人もいる。なので馬券を買えるところには換金する商売もありました。当たり馬券を配当から何割か引きですぐに換金してくれるんです。自分の予想を大声で宣伝する人もいて、とにかく独特の熱気があった。当時と比べればJRAも地方競馬も本当にクリーンになった。今は女性も若い人も足を運びやすい環境になったのは素晴らしいことだと思います。

 自分は全く競馬に興味がないので、10円玉を入れれば遊べるゲームコーナーで時間をつぶすんです。当時は枠連しかないからそんなに高額配当はなかったはず。万馬券になるのは「7―7」か「8―8」くらいですよ。それでも馬券が当たれば、帰り道には何かおいしいごちそうの外食になるんです。

 みんなで白黒のテレビに向かって声を出して応援する。普通はそういうきっかけで競馬を好きになる人も多いんでしょうけど、自分は訳の分からない馬たちが走っているレースには全く興味が湧かなかった。帰りに何かいいことがあるので親の馬券が当たるといいなと願うくらいでした。

 父はそういう場に出入りしていたので、ある日「騎手候補生募集」のパンフレットを見つけたのでしょう。自分は中学3年の時点で1メートル48、33キロしかなかった。体重は今の小学4年の平均くらいのようです。そんな小さい子だから、体重が軽くないといけない騎手に向いていると思ったのでしょう。相談もなく「願書を世田谷の馬事公苑に出してきたぞ」と言うんです。返す言葉で「そんなところ、行かねえ!」と突っぱねました。ただ、困った父親が試験を受けるだけで当時、自分だけが持っていなかった変速ギアの付いた自転車を買ってくれるというので、試験だけでも受けてみるかとなりました。 

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ) 1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

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