【根本康広 我が道12】障害未勝利で絶対王者に騎乗 普通ではあり得ない話…重圧ズシリ
2026年10月12日 07:00 師匠(橋本輝雄調教師)は障害レースが好きでした。若手騎手の恩恵で3キロ軽い負担重量でレースに騎乗できた私に「とにかく乗ってみろ」とレースを任されていました。でも、オープンクラスの障害馬のお手馬はいません。うちの厩舎にはフジノショウグンなどがいましたが、それは白石一典さんのお手馬でした。
障害は騎手のケガが多い。先輩たちが休んでいる時に“根本、空いているか?”と代打騎乗を頼まれることが多かった。主戦騎手が復帰してきたらお手馬を返す。普段は平地の競馬に乗っているけど、ある意味でうまく穴埋めをする“フリーの障害騎手”のような立ち位置でした。
当時、バローネターフというとても強い障害馬がいました。77年に中山大障害の春と秋を連勝。78年も年末の中山大障害・秋を優勝した障害界の王者です。ずっと三浦春美さんが乗っていたのですが、その後に小柳由春さんが乗ったりしていました。
翌年以降は星野忍さんが乗る話も出ていたようですが、星野さんにはタイフウオーというお手馬がいた。少しややこしいのですが、タイフウオーの(79年2月)障害Sには私が代打で乗っていました。星野さんはその後にケガから復帰するということで王者バローネターフに乗り、私はそのままタイフウオーなのかなと思っていました。
しかし、タイフウオーの陣営が星野さんとの再コンビを希望しました。私が乗った時は4着に敗れていました。一度決まりかかっていたバローネターフの鞍上が、ぽっかりと空くことになりました。
寮でご飯を食べていたら、矢野進厩舎の調教助手さんが「おーい、根本はいるか?」と訪ねてきました。玄関前まで出迎えに行ったら「おまえ、今度の障害オープンは空いているか?」と聞いてきます。何のことか分からずに「はい、空いてますよ」と答えたら「じゃ、頼むな」とだけ言って去っていきました。
よく分からないまま仲間の元にご飯を食べに戻ったら「おい、根本!矢野進厩舎のオープン馬ってバローネターフのことだろ!?」と大騒ぎに。自分も思わず大きな声が出ました。管理する矢野進調教師のお父さん(矢野幸夫調教師)が師匠と同期だったんです。仲が良かったし、そういう関係も影響したのかもしれません。
その時点で、まだ障害レースを勝ったことはありませんでした。馬事公苑では「根本は危ないから障害に乗るな」とも言われた生徒がいきなり、障害界の絶対王者とコンビを組む。普通ではあり得ない話です。いろいろなことが絶妙にかみ合い、私の元に依頼が来たんだと思います。騎乗が決まってからのプレッシャーは相当なもので、ズシリとのしかかってきました。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。
特集
2026年10月12日のニュース
-
-
-
-
【スワンS】傾向と対策 NEW -
東京競馬場・馬場情報 NEW -
京都競馬場・馬場情報 NEW -
-
-
-
【アイルランドT】戦い終えて NEW -
-
-
-
-
-
東京競馬制裁 NEW -

