【根本康広 我が道18】メリーナイスは距離に限界!? 2400メートルのダービーに挑戦

2026年10月19日 07:00

GⅠの朝日杯3歳Sを快勝したメリーナイス(8)

 86年、メリーナイスが入厩してきました。今のように育成牧場で整えてくる時代ではない。競走馬としての全ては厩舎で教えていきます。普段は他の馬を極端に怖がる臆病な子。隣の馬が尻尾を振るだけでビュッと逃げてしまいます。これは競馬は無理なのではないかと思っていました。ただ、初めて速い時計を出す調教にまたがった二ノ宮敬宇先生(元調教師、当時は橋本輝雄厩舎の調教助手)が「ねもっちゃん、この馬いいかもしれないよ。スピードに乗ったらグッと沈むんだ」と評価していました。

 デビュー戦は函館の芝1000メートル。鼻差でギリギリ勝ち切った走りに「根性があるな」と感じました。尻尾を上げて走るし、頭は高かったけど、身のこなしは柔らかかった。厩舎の方針で北海道で勝っても(重賞の)3歳Sは使いませんでした。父はコリムスキーで母が東京3歳優駿牝馬(大井1600メートル)を勝ったツキメリーという血統背景。馬体もコロコロしているし、1600メートルくらいが限界だと思っていました。その後はマイル路線を歩みました。

 りんどう賞(2着)では強敵サクラロータリーに敗れたけど、続くいちょう特別は接戦できっちりと勝利。馬が少しずつ力をつけている感じはしました。そして年末に行われたG1の朝日杯3歳Sは2番人気。函館3歳S、京成杯3歳Sと重賞を連勝してきたホクトヘリオスを下して勝利しました。ただ、りんどう賞で子供扱いされたサクラロータリー(りんどう賞に続く府中3歳S後に故障で引退)がいればどうなっていたかは分かりません。それだけサクラロータリーは同世代の中で抜けた存在でした。

 うちの厩舎の調教方法はまずはダク(速歩=はやあし)で行って3、4コーナーからキャンター(駈歩=かけあし)でポコラン、ポコランとゆっくり下ろします。その後に少しずつスピードを上げていってハミをかけて、馬にペースアップを指示します。師匠が怒るのは前半からビュッと飛ばしてしまった時でした。馬によって違いはあれど前半はジワーッと行って、最後にビュッと伸びるような調教がメインです。そういう調整をして、競馬でも前半で我慢をすればメリーナイスも「2000メートルくらいは持つんじゃないか」という話になりました。

 しかし、朝日杯3歳Sから200メートル距離を延ばしたスプリングS(1800メートル)、皐月賞(2000メートル)は9、7着と敗れました。さらに距離が延びるダービー(2400メートル)は「さすがに距離が長すぎるだろう」と思っていました。ただ、師匠の定年引退が近づいていました。騎手として厩舎に所属せず、フリーになればダービーを勝つチャンスは二度と来ないと分かっていました。何より師匠をダービー・トレーナーにしたかった。距離の不安はあっても「何が何でも勝負にいく」と、強い気持ちに燃えていました。

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

特集

2026年10月19日のニュース