76年ぶりに無観客で行われる今年のダービー。皐月賞4着馬ウインカーネリアンを送り出す鹿戸雄一師（58）は、前回の無観客ダービーを勝ったカイソウを手掛けた久保田金造調教師（故人）の最後の弟子だ。鹿戸師にとっては騎手時代を含めて初めてのダービー挑戦。その裏には師弟の運命的な因縁があった。昭和から令和へ受け継がれた無観客ドラマの結末は。

　1944年6月18日――。米軍の爆撃機B29による日本本土への本格的な空襲が始まってからわずか2日後。東京競馬場に出走馬の関係者と軍人だけが集まり、「日本ダービー」が能力検定競走として開催されていた。レースは4角先頭のカイソウが2着シゲハヤに5馬身差をつける圧勝劇。晴天の府中で静かに第13代ダービー馬が誕生した。

　それから実に76年ぶりの無観客ダービー。ウインカーネリアンの鹿戸師は特別な思いを抱いて愛馬をひのき舞台に送り出す。「口べたな師匠でしたが、ダービーを勝った時の話は聞いたことがあります。お客さんのいないダービーを勝ったんだ、と」。84年に騎手としてデビューした鹿戸師の師匠・久保田金造調教師はダービーを2勝。初制覇が44年のカイソウだった。

　鹿戸師にとって騎手時代を含め、ホースマン人生37年目で初めて挑戦するダービーが無観客開催。思い返せば、新型コロナウイルス禍で初めて無観客で行われた重賞（阪急杯＝3月1日）を勝ったのも師が手掛けるベストアクターだった。「無観客での最初の重賞を勝たせてもらったし、師匠と同じく無観客のダービーに馬を出す。偶然だと思いますが、不思議な縁があるのかもしれませんね」と苦笑いを浮かべる師。「ただ、大観衆の前で管理馬をダービーに出走させることが我々の夢。初めて出られることにうれしさはありますが、寂しさも大きいです。この状況では致し方ないのですが…」と複雑な心境を明かした。

　師弟の無観客ドラマ第2章の“主人公”はウインカーネリアン。皐月賞は17番人気の低評価を覆す4着激走。「先行勢に厳しい流れの中でよく頑張ってくれました」。5着以内に与えられるダービー切符をつかみ取った。コンスタントに出走を重ねているが疲れは感じさせず、この中間も充実一途。「気性も大人になったし、馬体の張りも抜群。皐月賞の上位2頭は相当強いけれど、レース巧者な面を生かせれば」と期待を語る。

　「毎年、厩舎に入ってくる男馬は全てダービーに出ることを目標に鍛えている。ホースマンにとってはそれだけ特別な舞台なんです」。競馬の祭典への初参戦に目を輝かせる鹿戸師とウインカーネリアンの挑戦。76年前の無観客ダービーを制した人馬も、草葉の陰から快走を願っている。

　【戦時中制した第13代カイソウは名古屋大空襲で行方不明に…】戦争真っただ中に行われた「第13回日本ダービー」。当時の様子を記録した文献はほとんど残されていない。そんな中、このレースには文芸春秋社を創設した文豪・菊池寛も所有馬トキノチカヒを出走させていた（9着）。現地で観戦した彼が書いたエッセー「競馬随筆」に貴重な記述がある。

　「観衆は、三四百人しかゐなかった」「カイソウ号のダービーに於ける勝ち振は、セントライト、クリフジに次ぐと云ってよいほど、鮮やかなものだった」（原文のまま）

　また、カイソウに騎乗した橋本輝雄騎手（故人）の弟子である根本師は「師匠はよく話を聞かせてくれる方だったけど、このダービーについては全然話さなかった」と明かす。戦火により騎手仲間も亡き人に。「言葉にできない思いがあったのでしょう」と師匠の気持ちをおもんぱかる。無観客であろうと、競馬が行われていたこと自体が奇跡なのだ。

　さてダービー馬となった後のカイソウの運命は――。同じく無観客で行われた菊花賞でも1位入線するが、出走馬6頭全馬がコースを誤認したためレース不成立。“引退”後は陸軍・名古屋師団の軍馬として買い取られ、翌45年5月の名古屋大空襲で行方不明になったとされている。

　≪父と同じ府中でG1制覇を≫08年ジャパンC、開業1年目の鹿戸厩舎にG1タイトルをもたらしたのはウインカーネリアンの父スクリーンヒーロー。ダービーと同じ府中2400メートルでの歓喜だった。「父は勝負根性があってしぶとい馬。切れる脚はなかったけれど、レースが上手でした。カーネリアンは父の特長を受け継いでいます」。師にとっては思い入れが深い血統。息子でもG1制覇の夢を追う。

　◆鹿戸　雄一（しかと・ゆういち）1962年（昭37）5月23日生まれ、北海道出身の58歳。84年3月に騎手デビュー。JRA通算346勝（重賞4勝）で07年に引退。調教師に転身し08年3月開業。JRA通算318勝（重賞7勝、G1・1勝）。