【ラジオNIKKEI賞】“残念ダービー”じゃない!今年も素質馬そろって未来のスターホース探し

2020年6月30日 05:30

ラジオNIKKEI賞出走馬の後の重賞V。※表中の実績は4段階で評価。全て出走時点でG1勝ち=◎。重賞VかG1・3着以内=〇。3歳G1出走歴あり=△。3歳G1出走歴なし=×。また、ラジオNIKKEI賞、セントライト記念の双方に出走した馬は、先に行われるラジオNIKKEI賞を優先し、セントライト記念からは除外した

 今週末から夏の福島開催が開幕。本格的なシーズンに突入する夏競馬をより楽しむための新企画「夏競馬の自由研究」(毎週火曜掲載)がスタートする。第1回は福島開幕を飾る「ラジオNIKKEI賞」にズームイン。オールドファンには「残念ダービー」の印象が強いレースだが、調べてみると実はかなりの出世レースと判明。今年も出走馬の中に、後のスーパーホースが潜んでいるかも!?必見G3の“秘密”に迫った。

 【考察】昭和の時代から「残念ダービー」と称された「ラジオNIKKEI賞」(以下ラジN)。福島のファンには、ありがたい愛称ではないが、過去の出走馬を振り返ると意外にもハイレベル。少なくとも「残念」な認識を改めた方が良さそうだ。

 00年以降、出走馬で後に重賞を勝った馬を表にまとめてみた。一覧表で見ると勝敗にかかわらず、後の活躍馬が多数出走していたことが分かる。参考として約2カ月後に行われる同じ3歳限定重賞のセントライト記念(以下セン記)と比較してみる。後にG1を制する馬はラジN7頭に対しセン記11頭。数字だけなら劣勢だが、注目はその「実績」。セン記組は11頭中9頭が出走時点で既に重賞を勝っていた(実績〇)が、ラジN組は7頭全馬が重賞未勝利&G1未出走(同×)。後者の方が圧倒的に“成り上がり感”が強い。

 セン記は菊花賞トライアル。有力馬の秋の始動戦であり、夏の上がり馬も登場する。夏の始まりのG3とは土台が違っており、出走馬のレベルが高いのは当然だ。対してラジNは、かつては残念ダービーの名の通り、春の敗者復活戦の意味合いが強かった。ただ、近年は素質がありながら、あえて春は無理せず、ここに照準を合わせる馬も増えた。後の活躍舞台を見るとスプリンター、マイラー、ステイヤーと多彩。距離適性を見極める上でも1800メートルという距離は絶妙なのかもしれない。

 【結論】今年はいかにも「秋を見据えました」という素質馬がそろった。後の“お宝ホース”を発掘したいところ。デビューが遅れながら2戦2勝で臨むグレイトオーサーはフィエールマンか。18年、同じく2戦2勝で臨み2着惜敗も、後にG1・3勝を挙げている。ダートでしか勝ち鞍のないキメラヴェリテは、07年2着スクリーンヒーローとかぶる。出走時点では砂2勝のみだったが、劇的な成長で翌年のジャパンCを制した。

 過去の傾向からは、むしろ負けた馬にこそ素質馬が眠っている印象も。無観客開催の今だからこそ、じっくりTV観戦。仮に今週の馬券が外れたとしても出走各馬のレースぶりは目に焼き付けておいて損はない。

 【ラジオNIKKEI賞とは】ラジオNIKKEI賞は52年創設の中山4歳Sが前身。55~67年はダービー優勝馬の出走不可が条件とされ、これが「残念ダービー」の由来とされる。61年から「日本短波賞」に名称変更。77年には当時クラシック出走権のなかったマルゼンスキーが圧勝。7馬身差2着のプレストウコウが同年菊花賞を制した。79年に舞台が福島へ移され「ラジオたんぱ賞」に。80年代はミナガワマンナ(81年菊花賞)、ニッポーテイオー(87年天皇賞・秋、マイルCS)などの名馬が、ここをステップに羽ばたいた。90年代は隆盛を誇りながらクラシック出走権がなかった(外)=外国産馬の受け皿に。シンコウラブリイなどが後の活躍へとつなげた。外国産馬の出走制限が段階的に撤廃された00年以降も「残念ダービー」の系譜は健在。02~18年まで春の3歳G1不出走馬が17年連続で優勝した。

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