福島競馬場 東日本大震災から10年…当時の場長が語る「本当の復興にはまだまだ長い道のり」

2021年3月12日 05:30

11年3月11日の東日本大震災で屋根が崩落した福島競馬場5F指定席(JRA提供)

 東日本大震災では東北地方の公営競技施設も大きな被害を受けた。中でも福島競馬場はスタンドが損傷。原発事故による放射線の問題も重なり、1年間の開催中止を余儀なくされた。一方で避難所として機能し多くの被災者を救援した。震災当時、福島競馬場場長を務めていた時任淳信氏(64)が地震当日から競馬再開への道のりを語った。また、同じ福島県内で支援物資の中継拠点として機能したいわき平競輪場の10年も振り返る。

 地震発生時、時任場長は競馬場事務所内の場長室にいた。「それまでに経験した地震とは、比べものにならない揺れ。時間が長く2分、3分と続き、永遠に揺れ続けるのではと不安になりました」。揺れが収まるとまずは職員の安否確認に追われた。出張者も多く、つながらない電話との格闘だった。

 夕方になると福島市の災害対策本部から避難者受け入れの要請があった。「競馬場周辺では火災や建物の倒壊はなかったが、停電と断水が続いていた。すぐに職員で受け入れチームを編成した」。まずは競馬開催の週末に騎手が使用する調整ルームを開放。時間がたつにつれ、津波や原発事故の影響を受けた浜通り(沿岸部)からの避難者が増えた。最終的には厩舎の馬房に隣接した厩務員らの居室も開放。最大で約550人の避難者を受け入れた。

 その後、競馬場内の被害状況を目にした時の衝撃は鮮明に覚えている。「とても競馬はできないと思いました。スタンド内はスプリンクラーが作動して水浸し。壁や天井が崩れ、ドアが外れ、ガラスが割れていた。復旧にどれくらいかかるのか気が遠くなった」。競馬再開に向けての苦闘の始まりだった。

 再開に向けては2つの大きな問題が立ちはだかった。まずは設備面。スタンド内の電源設備が損傷し、場内に電気を供給できなくなっていた。ウインズなど他の施設から使われていない電源装置を移設し工事を進めた。そして放射線。場内の計測値も決して低くはなかった。場内の芝の部分を掘り返すなど、当時の目標数値を下回るよう除染作業を進めた。「想定されていた災害復旧とは違う苦労があった」。地震から約3カ月後の6月25日、まずは馬場内投票所での場外発売が再開された。

 その後も復旧工事が進められ、震災から丸1年が経過した12年4月7日、福島競馬は再開した。競馬を待ちわびた約3000人のファンが、開門前から長い列をつくった。「第1レースのファンファーレが響くと、場内から拍手が湧き起こった。やっと再開できたと胸が熱くなった」

 あれから10年。節目を目前にした今年2月13日、福島を再び震度6弱の揺れが襲った。スタンドが損傷し今春の開催は中止が発表された。「また大きな地震が起きてしまい驚きと残念な気持ちでいっぱいです。まだ、県外で避難生活を送られている方もたくさんいます。福島の本当の復興は、まだまだ長い道のりなんだと、改めて感じました」。終わりの見えない闘いは、今も続いている。

 ≪早く元のにぎわい戻って≫福島の競馬熱は全国でも指折り。時任元場長は「震災から1カ月もすると“競馬はいつ再開するのか”という問い合わせの電話が増えてきた」と振り返る。再開後、競馬場には歓声が戻ったが、昨年から新型コロナウイルスという新たな難題が発生。無観客開催により再び歓声が消えた。そして2月13日の地震により再びスタンドが損傷。安全面から4月10日に開幕するはずだった春開催は新潟での代替開催が決まった。時任氏は「競馬はお客さまに支えられている。早く競馬場に元のにぎわいが戻ってほしい」と願っている。

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