河内師ダービー初制覇の名馬 アグネスフライトへ弔い星を

2023年1月13日 05:00

2000年の日本ダービー。アグネスフライト(左=1着)とエアシャカール(右=2着)

 【競馬人生劇場・平松さとし】2000年、河内洋騎手(現調教師)は1頭の名馬と出合った。その馬の母アグネスフローラとは桜花賞を制し、祖母アグネスレディーではオークスを優勝していた。そんな縁のある馬は名をアグネスフライトといった。

 3歳の2月にデビュー戦を快勝したが、2戦目では12着に大敗。河内騎手は当時、次のように考えた。「行きたがったので我慢させる競馬を教えないといけない」

 3戦目でそれを実践すると、見事勝利。しかし…。「勝ったとはいえ、目標を“ダービー制覇”と考えると、もっとはじけてくれないと…と感じました」

 この時点で河内騎手はダービーに16回騎乗していた。その中にはサッカーボーイなどで1番人気に推されること、実に3回。しかし、先頭でゴールを切ることはなかった。「それどころかロングヒエン(1982年)はゲートで突進して外枠発走になるなど、ダービーには良い思い出がありませんでした」

 悲願のダービー制覇へ向け、続く京都新聞杯(当時G3)ではイチかバチかの策に出た。前半で最後方に控える競馬をしたのだ。「すると考えていた以上の脚で差し切ってくれました」

 「これだ!!」と思った河内騎手はダービーでもその競馬に徹しようと考えた。「能力的には十分に通用すると考えていました」

 夢にまで見たダービー制覇が、45歳にして初めてかなえられそうだと感じた。しかし、その思いとは裏腹に「勝負は時の運だから、それ以上に意識したことがありました」と続けた。「勝ち負けはともかく“悔いのないレースをしよう”と心掛けました」
 だから史上初のダービー3連覇へ向けて武豊騎手のエアシャカールが追い出しても、慌ててついていかなかった。自分のタイミングが来るのを待って追うと、パートナーがはじけた。

 こうして河内騎手をダービージョッキーへと昇華させたアグネスフライトが11日、星になったという。今週の愛知杯(G3)にアイコンテーラーを送り込む予定の河内師は今、何を思っているだろう…。 (フリーライター)

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