【ヴィクトリアM】泉一郎オーナー “運命タッグ”岩田康×イズジョーノキセキで初ビッグタイトルへ!

2023年5月10日 05:20

私物の騎手用の木馬に跨がりガッツポーズするイズジョーノキセキ・泉一郎オーナー(撮影・亀井直樹) 

 G1出走関係者に迫る企画「時の人」はイズジョーノキセキを送り出す泉一郎オーナー(67)にスポットを当てる。園田からスタートした四半世紀に及ぶ馬主ライフを振り返り、ヴィクトリアマイルへの意気込みを聞いた。 

 ――昨年の府中牝馬Sで重賞初V、オーナーとしても重賞初勝利でした。
 「勝った時は天にも昇る気持ちでした。こんなにいいものだとは思わなかった。(岩田)康誠で勝てたのもうれしい。デビュー2走目で勝って、口取りの時に“重賞を勝てる”って言われたんです。言った通りになりました。やっぱり中央のG1を25勝もしているジョッキー。背中で分かるんでしょうね」

 ――主戦の岩田康とは古い付き合い。
 「僕は馬主のスタートが園田です。当時は小牧(太)さんの時代で、康誠は23、24歳くらいだったかな。凄くかわいくて、しょっちゅう京都に遊びに来ていましたね」

 ――白地に青タスキの勝負服は岩田康が地方時代に着ていたデザインと同じ。
 「JRAの騎手試験に合格した06年に夫婦であいさつに来たんです。お祝い、何がいいの?って聞くと“勝負服を変えてくれ”って。他の人とかぶっていたら駄目ですけど、そのあたりもちゃんと調べていました。喜んで(変えさせて)いただきましょうとなりました」

 ――前々走の有馬記念は単勝13番人気4着。あのレースでラストランという話が出ていた。
 「府中牝馬Sの祝勝会で引退って言いましたからね。実は有馬記念が終わって康誠から電話がかかってきたんです。“来年はG1に行けるから。もうメディアには来年が楽しみってしゃべったんで”って言うんですよ。レース後のジョッキーの談話が現役続行の発端です。その後は関係者と連絡を取って“康誠が言うならいいよ”と納得してもらいました」

 ――イズジョーノキセキとの出合いは。
 「(北海道の)三石にある沖田哲夫さんの牧場は僕とスガノの冠で馬を持っていた菅原光太郎さんが繁殖馬を置いていたんです。菅原さんが亡くなった時に奥さんが“長年、主人と仲良くしてくださったから”と言われて、分けていただいたのがイズジョーノキセキ。僕は初年度産駒が好きですけど、エピファネイアの初年度産駒ですね」

 ――いよいよヴィクトリアマイルを迎えます。
 「ここ数年で最強メンバーだと思うし、強い相手とやれるのは幸せです。このメンバーとやれるって、いいふうに捉えています。ソダシに勝ったこともありますし、有馬記念ではエフフォーリアやタイトルホルダーに先着しましたからね。楽しみにしています」

 ――今後、馬主としての目標や夢とは。
 「僕のような叩き上げで成り上がりの馬主が大きいレースを獲れば、あとに続く人に夢が出てくると思います。今は一口馬主が全盛ですけど、馬主になるハードルも以前よりは下がってきました。一口馬主で感覚を覚えてもらって、興味を持ってもらえればと思います。僕は自分の思った競馬がしたい。それができるのは個人馬主の魅力。負けても楽しめる方がいいな。お金のことよりもね。夢を買っています」(続く)

 《息子に贈った騎手用木馬》京都にあるオフィスには17歳の息子・定一郎さんにプレゼントしたジョッキー用の木馬が置いてあった。泉オーナーは「今は僕や従業員がエクササイズとして使っています」と騎乗して、実演してくれた。イズジョーノキセキの“ジョー”は息子の名前に由来している。

 ◇泉 一郎(いずみ・いちろう)香川県出身の67歳。小学校の頃に京都へ移り、父親に連れられ競馬場へ。馬への興味が湧いて乗馬クラブに入り、北海道の牧場でアルバイトも経験。龍谷大卒。大学時代は野球部でピッチャー。20歳の頃には馬主へのビジョンを描き、起業を志す。会社勤務を経て85年に京都で不動産会社「ハウスプラザ」を設立。現在、代表取締役。地方競馬の馬主資格も所有、兵庫県馬主協会の常務理事を務める。

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