勝次さんが結んだカツジとの縁 松山の胸には今も感謝の思いがある
2025年10月10日 05:27 【競馬人生劇場・平松さとし】今週末、3日間開催の最終日13日には京都競馬場でスワンS(G2)が行われる。
5年前の20年、このレースを制したのがカツジだ。当時、鞍上は岩田康誠騎手。しかし、この馬の名を聞けば、多くのファンが松山弘平騎手を思い浮かべるだろう。
カツジがデビューしたのは17年10月。そこからしばらくの間、手綱を取ったのは松山騎手だった。翌18年にはニュージーランドT(G2)で重賞初制覇を飾るが、その時もまた、松山騎手とのコンビだった。
オーナーはカナヤマホールディングス。会長の金山政信氏は“これぞ”という一頭のためカツジという名を温めてきた。そして、同馬がトレセンに入厩する前から松山騎手を鞍上に指名することも決めていた。松山騎手は言う。
「“カツジ”というのは、金山オーナーの遠縁にあたる勝次さんという方のお名前から取られたものでした。勝次さんには食事に連れていってもらうなど、僕もお世話になりました」
松山騎手を「弘平ちゃん」と呼び、親しく見守っていた勝次さんだが、50代という若さで急逝してしまう。金山氏は深い思いを込めて、最愛の名をこの馬に託した。そして、勝次さんが愛した松山弘平騎手の手でデビューさせたのだった。松山騎手は当時をこう振り返る。
「結局、僕とのコンビでは新馬戦とニュージーランドTを勝つことしかできませんでした。それでも、たくさんチャンスをもらって、勝次さんのために何とか結果を出したいと、本当にいろいろ考えました。勝たせてあげられなかったことを申し訳なく思う半面、改めて“感謝”の気持ちでいっぱいです」
カツジは23年1月に登録を抹消された。それでも、松山騎手の胸には今もあの日の思いが生きている。
「応援してくださった勝次さんのためにも、もっとうまいジョッキーになりたい。これからも、勝次さんと共に“勝って”いきたいです」 (フリーライター)