【根本康広 我が道15】天皇賞・秋で回ってきた騎乗馬 ギャロップダイナでルドルフと対決
2026年10月16日 07:00 障害のビッグレースを制した後は、確かな自信が騎乗にも表れるようになったと思います。自厩舎にイーストボーイという馬がいました。栗毛で口が硬くて(思い通りに制御できない)引っかかる馬でした。81年8月のデビュー戦からコンビを組み、同年の京成杯3歳S(現在のG2京王杯2歳S)、83年の京王杯スプリングハンデキャップ(同G2京王杯スプリングC)を優勝しました。
今は短距離、長距離、ダートと各路線が整備されました。ステップ重賞があり、目標となるG1の大レースがあります。しかし、当時はその2つのレースはオープン特別の扱い。昔の騎手はグレード競走(重賞)が急増した今の基準であればもっと重賞を勝っています。私の通算成績はもっと見栄えのするものになったのですが(笑い)。
27歳を迎えた83年、下乗り時代から付き合っていた妻と結婚します。騎手としてある程度やっていけるという手応えを得たので、義父にあいさつに行きました。義父は写真家で、篠山紀信さんとも交流があるような人だったらしいです。お義父(とう)さんから見れば娘でも、2人で1人の女性を取り合うようなもの。私の目を見て「君は、幸せとは何のことか分かるのか?」と問われました。私は「はい、一生懸命に…仕事を頑張ります!」と答えるのがやっとでした。
義父はわざわざ府中に引っ越すほどの競馬好き。結婚を喜んでくれました。義母は若くして交通事故で亡くなっていました。ひと回り下の弟がいた妻は昼に働いて、夜は定時制の高校に通っていました。他の調教師の娘さんとの縁談を持ちかけられることもありましたが、最もつらかった下乗り時代を支えてくれた妻とようやく一緒になれたのがうれしかったです。
結婚から2年後の85年秋。ギャロップダイナという馬と出合います。当時はバリバリのオープン馬というわけではなく、主戦場は短距離の芝やダート。正直、どんな馬かイメージはありませんでした。ただ、その年の天皇賞・秋はこの馬の他に社台(レースホース)の出走馬がいなかった。まだ下級条件の馬でしたが、エントリーさせることになります。
それまで乗っていた東信二さんがアカネダイモン、柴崎勇さんが七夕賞、新潟記念を連勝してきたロシアンブルーに騎乗することが決定。ギャロップダイナの鞍上がぽっかり不在となっていました。管理するのはバローネターフと同じ矢野進調教師。バローネでの縁もあり、師匠の元に騎乗オファーが届きました。対するは今もなお語り継がれる名馬の一頭シンボリルドルフ。“皇帝”と称された断然人気馬がいたこともあり、レースまでに変に緊張することはありませんでした。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

