【凱旋門賞】メイショウタバル 間近で見続けた上籠助手の期待と不安
2026年10月1日 05:30 23年10月のデビューから間もなく3年。メイショウタバルの過去15戦において一番、近くで仕上げを施してきたのが上籠助手だ。宝塚記念連覇を果たし、凱旋門賞に向かう過程でも大前提は変わらない。「いかに気分良く走れるように調教して競馬に連れていけるか」ときっぱり。「自分が嫌だなって思うことは極力、馬にもしないように。怒る時は怒るけど、なるべくなだめつつ。そういう気持ちで自分は馬に接しています」と信念を口にした。
凱旋門賞に愛馬を送り出すのは2度目となる。昆厩舎の攻め専(調教騎乗がメインの助手)だった11年にヒルノダムールで挑戦。フォワ賞2着から臨み、付きっきりで稽古をつけた。「繊細で栗東でも調教に難しい面があった馬。誘導馬を手配していただき助かりました」と感謝し、決戦当日については「パリは人が多かったですね。暑くて雨も降らなかった」と回想する。馬運車が渋滞に巻き込まれ、移動で消耗したことも影響して10着に敗れた。
あの経験から15年。メイショウタバルと出合い、再びフランスに渡った。「デビュー当初と比べれば雲泥の差」と表現するほど精神面が大人になった。初勝利に3戦を要したように「最初は臆病で怖がっていたし、扱いやすくはなかった」と回顧。さらに蹄の弱さを抱え、一昨年の春は若駒Sが右前肢ハ行で競走除外、ダービーは左後肢の挫石で出走取り消し。「ダービーに出られるのは一度だけ。気性が悪さをして自分でぶつけてしまい、血豆ができたような状態。本当に悔しかった」と自責の念に駆られた。「“担当を替えろ”と言われても仕方ないのに、それでも任せてくれました」と恩義を感じながら、真摯(しんし)に向き合った。その感情が涙となってあふれ出たのは同年、秋初戦の神戸新聞杯だった。先代の松本好雄オーナーが現地で見守る中、逃げ切りV。喜ぶ姿を見て、こらえ切れなかった。メイショウタバルはその後の敗戦を糧にしつつ、ドバイ遠征も経験し、たくましくなった。
キャリアを重ねて注目度が増し、厩舎には多くのファンレターが届く。「お守りとかも送ってくださって。嫁さんが管理してくれています」と応援が力になっている。「俺がタバルに支えられている気がしています。追い切りなどの調教、脚元のこととか、いろいろなことを教えてもらっています」とうなずいた。
チーム一丸でチャレンジし、この地にやって来た。「ここまで挫折もあったけど競馬に関しては真っすぐに突き進んで、ここまでの馬になってくれました」と成長を実感すると同時に「性格をある程度、把握しているつもりだけど、まだ芯のところを分かっていない気もします。この経験が今後どう出るか」と期待と不安が入り交じっている。担当スタッフとしてはベストの状態に仕上げ、鞍上にバトンを託すのみ。フランス最高峰の舞台でも力を出し切ってくれることを願っている。
◇上籠 三男(うえごもり・みつお)1969年(昭44)5月10日生まれ、名古屋市出身の57歳。名前の通り三男。生後間もなく栗東トレセンの近くに引っ越し、星川薫厩舎の厩務員だった父親の影響で競馬の世界を志した。次男の勝仁氏は元JRA騎手で現在は吉岡辰弥厩舎の調教助手。栗東高校の馬術部で腕を磨き、競馬学校を経て89年に栗東トレセン入り。浜田光正厩舎でビワハヤヒデ、ビワハイジといった名馬に稽古をつけ、00年に昆貢厩舎に移籍するとローレルゲレイロやディープスカイ、ヒルノダムールの調教に携わった。21年2月から石橋守厩舎で2頭を担当する持ち乗りの調教助手として従事している。
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