【根本康広 我が道20】天国と地獄…メリーナイスでダービー制覇、有馬記念で落馬

2026年10月21日 07:00

ダービー表彰式で長男を馬に乗せて記念撮影

 今でもダービージョッキーは最高の栄誉です。その喜びはまた格別だったと思います。育成からの仕事がうまく分業された今とは異なり、どの馬も厩舎で初めて背中に鞍を乗せるところから携わっていました。特に自厩舎の馬なら性格も普段の様子も全て知っています。そういう相棒とダービーを勝てれば、これ以上ない喜びです。

 メリーナイスとダービーを勝ったことで、周りも本当に喜んでいました。下乗り時代から心の支えになってくれた妻も、半ば無理やりに競馬の道に導いた父も喜んでいました。騎手になるまで大変だった時間が長かったし、こういう未来があるのはなかなか想像できなかったでしょう。

 師匠(橋本輝雄調教師)は騎手時代に、44年カイソウ、50年クモノハナで2度ダービーを勝ちました。「ダービーは2度勝てない」というジンクスを破った騎手でした。ただ、自身が勝ったダービーの話はあまりしたがりませんでした。太平洋戦争の戦況が悪化した44年のダービーは「能力検定競走」として無観客で行われたそうです。師匠は視力の問題で徴兵されなかったらしいですが、よく知った仲間たちが戦地で亡くなったみたいです。そんな師匠に恩返しができたのが何よりもうれしかった。本人も調教師としてのダービー初制覇を喜んでいました。ただ、めちゃくちゃ褒められるわけではなかった。そこはいつもの師匠でした。

 メリーナイスは秋初戦のセントライト記念を快勝しました。続く菊花賞は引っかかってしまって9着。3冠目も勝ちたいと気が入り、滞在先で付きっきりで調教したのが良くなかったのかもしれません。2400メートルのダービーは勝ちましたが、さすがに3000メートルは長かった気もします。そして一度狂った歯車を戻すのは大変だとも痛感させられました。今でも語り草になっていますが、年末の有馬記念はスタート直後につまずいて落馬しました。ダービーの頃は天国だったのに、年末には地獄を味わった。89年札幌記念(レインボーアカサカ)の2秒出遅れだとか、馬券で応援してくれたファンの方々には申し訳なく思っています。

 それでもメリーナイスはその後も頑張ったんですよ。引退レースとなった88年の函館記念は85年のダービー馬シリウスシンボリに先着。レコードで勝ったサッカーボーイに敗れて2着でしたが、G1レベルのレースで改めて力を示してくれました。その後に調教中の骨折で引退。そこで人生2度目の引退式出席となりました。ダービー制覇、有馬記念の落馬、本当に喜怒哀楽を味わわせてくれた馬でした。キャラが立っていてファンも多かった。最高のパートナーでした。

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。

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